◎島原温泉給湯50周年 特別コラムbP  1967年(昭和42年)に島原市温泉給湯事業の温泉供給が開始されてから、今年で50周年を迎えます。この節目の年に、市民皆さんに「島原温泉」の魅力について、さらに知ってもらうとともに、親しみを感じていただけるような情報をお届けします。第1回目は「島原温泉の開発の歴史」について紹介します。 (写真)温泉給湯管布設(昭和42年 みなと商店街)の様子 (写真)掘削が成功し自噴する観音島源泉(昭和42年)の様子 ▼島原温泉の開発の歴史  歴史豊かな城下町しまばらには、全国的に有名な温泉地である雲仙や小浜が近隣にありながら、温泉がなかったことから、観光でも遅れをとっていました。そのような中、さらなる繁栄のため、先人の「島原温泉」に対する熱意や温泉開発にか ける意欲は高く、昭和10年から数多くの温泉掘削で困難に立ち向かいながら、昭和42年、現在の観音島源泉を掘り当てたことにより、ついに念願の「泉都島原」が実現したのです。 ▼島原温泉開発年表 西暦(和暦)    内容 1935年(昭和10年)  島原市初の温泉掘削(坂下町)              ▼資金不足で工事中止 1942年(昭和17年) 『島原振興会』設立(当時の植木市長が会長)※年表1              温泉掘削(白山町、ハタ池付近)温泉湧出35 ℃              ▼太平洋戦争による資金、人手不足で工事中止              〜 戦後、温泉開発の機運が再燃 〜 1948年(昭和23年)  『島原温泉掘さく協会』設立(当時の中岡市長が会長)              ▼市内各地で温泉探査を実施 1949年(昭和24年)  第1次温泉掘削(南千本木町)              ▼温泉掘り当てできず工事中止 1950年(昭和25年)  第2次温泉掘削(下川尻町) 温泉湧出32℃ ※年表2              ▼掘削孔内での事故により工事中止 1952年(昭和27年)  『島原温泉開発委員会』設立(島原温泉掘さく協会、島原市議会、島原市の三者)※年表3              第3次温泉掘削(南下川尻町) 温泉湧出23℃              ▼孔壁崩壊などにより工事中止 1960年(昭和35年)  温泉掘削(県立島原温泉病院敷地内、元池南源泉) 温泉湧出35・5℃(島原温泉観光株式会社と島原市の共同作業)※年表4              ▼昭和41年に県立島原温泉病院として開院 1962年(昭和37年)  島原市広報で「泉都化構想」を発表 1963年(昭和38年)  温泉掘削(下川尻町、元池源泉) 温泉湧出31℃(山本富治氏が掘削)※年表5              ▼昭和42年から湧出量の半分を旧島原簡易保険保養センターと残りの半分を島原市温泉給湯事業とで利用 1966年(昭和41年)  島原市広報で「泉都化」への青写真を発表              ▼温泉給湯事業を市が経営し、当時全国でも珍しい「温泉集中管理」とする計画で島原市温泉給湯事業が始動 1967年(昭和42年)  温泉掘削(湊町、観音島源泉) 温泉湧出31℃ ※年表6              (島原市温泉給湯事業)温泉給湯施設や温泉給湯管を整備              温泉供給スタート(同年10月1日)              ▼供給開始時は旅館・ホテルの普通供給として14軒(日量369トン) (写真)観音島での温泉掘削起工式(昭和42年) (写真)観音島ボーリング(昭和42年) 主な温泉掘削状況(昭和17年〜42年) 昭和17年 (ハタ池付近) ※年表1 昭和25年(第2次)   ※年表2 昭和27年(第3次)  ※年表3 昭和28年(ホテル) 昭和32年(個人) 昭和33年(旅館) 昭和34年(個人) 昭和35年(元池南)   ※年表4 昭和38年(元池)    ※年表5 昭和39年(ホテル) 昭和42年(観音島)   ※年表6 次回は「島原市の温泉給湯事業」について紹介します。 ▼問い合わせ先 しまばら観光おもてなし課温泉・観光施設班(63−1111内線213)