◎輝く島原人 THE SCENE Vol.01 島原に生きる  広報しまばらでは、今月号から、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介していきます。 第1回目は「一期一会」、「和顔愛語」が大好きな言葉で、今なお青春真っ最中の「人生の達人」こと、福原 義昭(ふくはら よしあき)さん(90)を紹介します。  昭和2年、8人兄弟の6番目として熊本県玉名市で生まれ、父の仕事の関係で小学6年生の時に台湾へ。終戦を機に引き揚げ、大学卒業後は建築士として約15 年間設計業務に携わる。昭和48 年から島原工業高校の建築科教員として定年退職まで教壇に立つ。昭和63年3月退職後、教え子の1級建築士6人と一緒に島原県央設計監理協同組合を設立。山寺町在住。 ▼教え子に感謝 島原工業高校の建築科での教員時代の教え子は1万人を超えます。 43歳のころ、飯塚市の市庁舎や消防署の設計に携わったことがあります。現在、建て替え中の島原市役所新庁舎では教え子が設計に携わっていますので、やはり縁があったように感じます。  定年退職後、教え子からの誘いで、設計部長としてビルなどの設計業務に携わり、13年間東京で生活していたこともあります。  また、教え子からの相談をきっかけに、86歳からは介護予防の分野にも興味・関心が深まり「認知症サポーター」の資格を取得。次なる目標は介護福祉士の資格を取得すること。そのために、教科書を購入し日々勉強に励む毎日。  今でも交流が続いている教え子も数多く、良くしてくれる教え子たちに感謝しています。 ▼若さの秘訣 若さあふれる福原さん。その若さの秘訣を聞くと「自分の体は自分で守る」をモットーに、何事にも興味、関心をもって過ごすこと」と話します。  82歳のときに最愛の妻が他界して一人暮らしになってからは、外食はほとんどせず自炊。月に1〜2回男性料理教室に通って料理の腕を磨くほどのこだわりぶりです。  食事は、一口30回以上よだれが出るまで噛むことを意識し、腹7分目で毎日3食きちんと取るように心がけています。また、お酒も毎晩日本酒1合ほどをたしなみます。  見た目も若いですが、「体力にも自信があります」と力強く話す福原さん。移動手段は徒歩か自転車と決意し、約10年前に運転免許証を返納。自転車での移動は楽しいもので、10キロメートル以上も離れた隣町にも出かけるほどです。 ▼人生の教訓 「一期一会」、「和顔愛語」が大好きな言葉で、新しい出会いは人生を豊かにしてくれます。いつも微笑みを絶やさず、ユーモアを持って笑顔で人に接しています。 ▼ボランティア精神 自分自身が認知症にならず、心身ともに脳を活性化させるために始めた「いきいき元気塾」でのボランティア。塾生には頭の体操(読み書き算数や間違い探し)などを指導し、いかに楽しく笑顔で続けられるか試行錯誤の毎日。さまざまなボランティア活動を通して、多くの人たちと交流やつながりができます。  健康のありがたさを痛感し、同世代と交流しながら日々勉強できる喜びを感じています。これからも、人の役に立つ喜びを感じながらボランティアに励んでいきます。 ▼国際交流 火山都市国際会議島原大会(平成19年本市開催)の際に経験したボランティアガイド。これを機会に、中国語、韓国語、英語にも挑戦し、現在も島原半島国際交流クラブの会員として語学の勉強に励んでいます。  ボランティアを通して知り合いが増えたことも大きな財産で、オランダから来た芸術家ファミリーとは親しい間柄となり、「日本のおとうさん、日本のおじいちゃん」と呼ばれています。  そのファミリーとは今でも国際交流が続いているそうで、昨年7月には、1週間ほどオランダを訪れ、約22時間の長旅でしたがホームスティでの楽しいひと時が疲れを吹き飛ばし、素敵な思い出になったとか。  これからも海外旅行に意欲的で、3年前にパスポートを10年更新したばかりです。 ▼若者に向けて一言 人生の先輩として、「よく生きて、よく逝く姿」を若い人たちに見せるのが使命だと感じています。  若い人たちには、常に広い視野でアンテナを張り、チャレンジ精神であらゆることに興味や関心を持って、失敗を恐れず取り組んでほしい。また、チャンスがあれば、海外で活躍するグローバルな人間になってほしいです。 ▼今後の抱負 99歳までは生きる自信があります」と人に話すと皆から間違いなく100歳を超えると逆に冷やかされます。  「これからも老いの楽しみを追いかけていきたい。長生きをさせていただき、戦争もなく平和に暮らせることに感謝し、さまざまな活動を続けていきたいです」と笑顔で話してくれました。 (写真1)笑顔で自転車に乗る福原さん (写真2)笑顔で調理実習をする福原さん (写真3)真剣な表情で語学の研修に励む福原さん (写真4)笑顔で転倒予防教室に参加する福原さん