◎輝く島原人 THE SCENE Vol.13 島原に生きる 広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第13回目は「繋ぐ。スポーツでつながる、未来につなげる」と語る前田 勝義(まえだ かつよし)さん(79)を紹介します。 (写真1)安中公民館で会話をする前田 勝義さん  昭和13年、8人兄弟の次男として三会で生まれ、育つ。長崎大学卒業後、小学校教諭となり、旧島原地区全ての小学校で勤務。教員時代バレーボール部の立ち上げを期にスポーツ少年団を組織、40年以上指導者を務めている。また、昨年まで安中地区町内会連絡協議会会長を務め、自主防災の取り組みに注力した。平成17年、島原市初の日本スポーツ少年団顕彰を受賞。船泊町在住 ▼つながりをくれたスポーツに感謝  昭和50年ごろ、第二小学校の教員時代、スポーツ好きな知人とバレーボールやサッカーのチームを作り、「スポーツ少年団」という組織で活動を開始したそうです。それ以後、島原市スポーツ少年団を組織する中で40年以上に渡り、スポーツを通して子どもたちの心と体の育成に携わってきました。  前田さんは昔からスポーツ、特に野球が得意でしたが、バレーボール経験は無く、それでも自慢の運動神経と、教員として培った指導力で、バレーボールの指導もなんとか上手くやってのけたそうです。  その後も、島原復興アリーナや市内の運動公園をはじめ、スポーツ関連施設の建設に携わるなど、「スポーツとは運命的、宿命的なものを感じる」と前田さんは語ります。  前田さんがスポーツを通して一番大切にしていることは、「技術習得や試合結果だけを求めるのではなく、人と人とがつながることで仲間を作り、お互いに切磋琢磨し、友情を培うこと」だそうです。そして、「スポーツを通してたくさんの子どもたちや保護者の皆さんとつながりができたことが私の財産です」と話してくれました。 ▼地域のため、未来のために残せるもの  雲仙・普賢岳の噴火が始まった平成2年、前田さんは第三小学校の教頭先生でした。大火砕流を目の当たりにした経験から、災害や防災に対する思いが強くなったそうです。  前田さんは昨年まで、安中地区町内会連絡協議会会長を7年間務める中で、雲仙・普賢岳噴火災害の教訓を生かし、安中地区と島原市、雲仙復興事務所が一緒になって「安中防災塾」を立ち上げ、自主防災に関する取り組みを積極的に行いました。  また、昨年1年間を費やし独自の「安中地区防災マップ」を地域の皆さんと一緒に作成し、本年度から利用を開始しました。「この防災マップを活用し、災害時に安全・安心に対応できる地域づくりを目指したい」と前田さんは力強く話してくれました。 (写真2)「安中地区防災マップ」で災害時の行動をイメージする前田さん ▼これからの島原のために  今年10月で80歳を迎える前田さん。これまで島原のスポーツや地域づくりに関わる取り組みについて、長年尽力してきました。  島原の将来のことを考え、「80歳を機に今の役職を後任へバトンタッチしていきたい」と考えているそうです。  「これまで積み上げてきたものを後世へつなげると共に、若い世代に新しい島原を作り上げて欲しい」と前田さんは熱く語ってくれました。 (写真3)市民体育祭で優勝トロフィーを手に安中チームの先頭に立つ前田さん(上) (写真4)子どもたちにスポーツ少年団の成り立ちを楽しそうに話す前田さん(中) (写真5)島原市初の日本スポーツ少年団顕彰を受賞した前田さん(下)