◎輝く島原人 THE SCENE Vol.17 島原に生きる 広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第17回目はビデオ愛好者が集まった島原ビデオクラブを設立し、同会長として、映像を通して旬なイベントや風景など島原の魅力を広く発信している日高和夫(ひだか かずお)さんを紹介します。 (写真1)島原城の古野梅苑で梅を背景に、愛用のビデオカメラを持って笑顔で写真に収まる日高さん 「人生の達人」日高和夫さん(78)  昭和15年、5人兄弟の長男として鹿児島県鹿屋市で生まれ育つ。高校卒業後、昭和32年5月九州商船に入社。三角〜島原や長崎〜下五島などの旅客航路に事務部員や事務長として乗船し、接客を担当。退職後、平成13年3月NHKに入局。島原報道室情報通信員として島原半島のニュースを追いかけ、約10年勤務。  平成11 年10 月からは、ビデオ愛好者が集まった島原ビデオクラブを設立し、同会長として、映像を通して旬なイベントや風景など島原の魅力を広く発信している。城内三丁目在住。 信念を貫く 映像を通して 島原の魅力を伝えたい ▼憧れの九州商船「和丸(かずまる)」が取り持ってくれた縁  父親が九州商船に勤めていた影響で、小さいころから海や船が大好きだった日高さん。父親が九州商船「和丸」に乗組中に誕生したことから「和夫」と名付けられたそうです。そして、高校卒業後、九州商船に入社。憧れの「和丸」に乗船し父子二代で同船勤務を果たしました。 また、奥さんとの最初の出会いも船上だったそうです。  当時、日高さんは船上生活。奥さんは三角船員保険寮で働いていたそうで、船上と、海に面した寮の庭から手を振り合い、お互いの気持ちを確かめ合ったといいます。  「愛妻とは5年間の交際が実り、九州商船の船上で結婚式を上げることができました。その模様が当時のテレビ番組「ここに幸あれ」で全国放送されました」と懐かしい思い出を笑顔で振り返ってくれました。 (写真2)九州商船鰍フ船上で結婚式を上げた日高さん夫婦(昭和41年4月)      (左から、司会の徳川夢声(とくがわ むせい)さん、新郎の日高和夫さん、新婦の梅子さん、介添の中村メイ子さん) ▼映像を通して伝えたいもの  信念を貫き、好きなことをやり遂げる性格だと話す日高さん。退職前に始めた趣味のビデオカメラ。労力を惜しまず長崎や熊本まで通い、撮影や編集技術の腕を磨いたそうです。九州商船退職後、島原のために役に立ちたい、何かできないかと考えていた日高さんは、地域の良さを映像に残すため、当時開催されたビデオ講習会の参加者に働きかけて島原ビデオクラブを平成11年に発足させました。  今年で発足から20年目を迎え、これまで、会員皆さんと一緒にさまざまな記録を撮影して、映像を見ながらお互い感想を述べあったり、編集の勉強会を通して、技術の向上を図ってきた日高さんに、今後の抱負を聞くと「会員皆さんも高齢となり、いつまで続けられるか分かりませんが、これからも観ていて朗らかになるような、島原の旬なイベントや風景など元気で明るいニュースを発信し続けたいです」と力強く話してくれました。 ▼ビデオカメラで広がる交流の輪   20年余り、数多の映像を残してきた日高さん。これまでの経験で、特に印象に残っている取材を聞くと「約10年間毎年続けた保育園の久住登山。一日中密着取材し、子どもたちと一緒にきつい体験をして生の感想を聞けたことがうれしかったです。また、この貴重な経験が子どもたちの思い出として残り、成長していく過程の中で、自分の励みに頑張ってくれている話を聞いた時は大変うれしく、地域に貢献できていることにやりがいを感じます。これまで数多くの取材でたくさんの人と出会い、ビデオカメラを通して交流の輪が広がっていることは私の財産です」と話してくれました。 (写真3)島原ビデオクラブの仲間と一緒に編集作業を行う日高さん ▼ウォーキングで広がる笑顔の輪  市保健センター主催のウォーキングサークルをきっかけに平成24年に発足した「さるいてみゅう会」。  設立当初から事務局長として活動している日高さんは、会員皆さんが楽しく活動できるようにと気配りを欠かさないよう心がけており、ビデオ取材で培った知識や経験を生かし、活動の記録を残しながら会報を作成するなど会の活動を支えています。  日高さんにさるいてみゅう会の魅力を聞くと「四季折々の風景やイベントに合わせて、市内各所を会員みんなでワイワイと楽しくウォーキングしています。みんなと一緒に笑顔で楽しく体を動かすことで、健康づくりや仲間づくりができます。その結果、健康寿命が延びることで医療費の抑制につながるといいですね」と笑顔で話してくれました。 (写真4)さるいてみゅう会の皆さんと一緒にウォーキングを楽しむ日高さん