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神習処跡

 

神習処跡

『世の中は暗い、暗い』

神習処跡
 

島原市上新丁に神習処跡という碑が建っています。 ここは文久3年(1863年)に、丸山作楽が私塾・神習処を開き、若い武士に国学や神道を教えたところです。
丸山作楽は、天保11年(1840年)江戸に、貧しい下級武士の子として生れ、両親を早くなくして孤独な中、漢字を岩瀬行言に、国学を平田鉄胤、蘭学を後藤又三郎に学ぶなど、学問に対する姿勢は忠実で優れていました。
幕末の混乱期には、島原の同志・梅村真守たちとともに江戸で尊王に献身することを誓いました。そして、四国連合艦隊の下関砲撃では長州藩士と一緒になって戦い、長州藩主毛利元德の命を受けて九州各藩に尊王思想を広めて回るなどと活躍しました。
長崎の町を昼間でも提灯をつけて歩き、「世の中は暗い、暗い」と、天皇に政治を返さなければ明るくならぬと言った話が伝えられています。
24歳の時、文久3年(1863年)11月に島原永住を命令され神習処を開いたが、尊王思想を唱え、過激な活動をしていたので、先魁の藩獄舎に入れられ学館はわずか4年で廃止されました。
明治維新後は明治新政府から招かれ役人となり、後では外務大丞、憲法発布後は貴族院議員に勅選され、明治32年(1899年)、60歳で亡くなりました。
この地で学んだ旧士族の手で記念碑が建てられ、今でも桜の咲く頃には「さくら会」による記念祭が行われています。

 

ギャラリー

神習処跡 神習処跡
神習処跡 神習処跡

施設情報

【場所】長崎県島原市上新丁1丁目 
 

※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。



 

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