寛政4年(1792年)の島原大変で中木場村(安中地区)は大きな被害にあい、村内の水脈が枯れて、村民は4キロ離れたところから飲み水を運ぶ苦しい生活が20年近く続きました。
当時の庄屋下田吉兵衛は、神のお告げで岩上山麓に水源を発見し中木場まで5キロの水道(清水川)を開設しました。この水道の恵みで生活用水などが豊かになりました。
その時に天満宮水権現としてお祀りした清水川の水権現様を守り神として、現在も地区住民の方は毎年2月4日に鳥居に新しい「しめ飾り」を張り、神前で例祭をおこなっているそうです。
江戸時代から大正初期までは例祭を盛り上げるために若者は石を持ち上げ、力量を競っていました。
大きい石は130キロ、中が96キロ、小でも82キロの重さで、大石は八斗石、中石は六斗石、小石は四斗石と呼ばれており、この石で力比べをしていたので、この石を力石と呼んでいたそうです。
現在は、清水川の下流の大下町に祀られていて、平成11年4月9日に島原市指定有形民俗文化財に指定されました。市内には、三会地区や杉谷地区にも力石が残っています。
施設情報
【所在地】長崎県島原市大下町
※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。