三会地区にある礫石原遺跡は、縄文時代晩期の遺跡として有名です。
島原半島には縄文時代晩期の遺跡が比較的多く、礫石原遺跡をはじめ、南島原市「山の寺梶木遺跡」「原山支石墓群」や、雲仙市「筏遺跡」「陣ノ内遺跡」など、学史的にも重要な遺跡が多数あります。
これら遺跡の特徴として、縄文時代晩期の甕棺墓や朝鮮半島に由来する支石墓などの埋葬施設があります。もう一つの特徴は、扁平打製石斧と呼ばれる石斧で、土を掘ったり耕したりする為の道具と考えられています。近年の研究では、土器製作時に土器の表面に付着した雑穀や稲などの痕跡から、これらの植物が栽培されていた可能性があることが報告されており、弥生時代の水田稲作に先立つ縄文時代の畑作農耕の存在は定説となっており、水田稲作を受け入れる基盤が縄文時代にできていたことが考えられます。
このように島原半島の縄文時代晩期遺跡に共通する特徴を持つ礫石原遺跡で、他の遺跡にはないのが「環状石組遺構」です。50~60cm大の石が直径約2mの「環」になって並ぶもので、礫石原町に移築復元されています。この近くでは合口甕棺も発見されていることから、この環状石組遺構も埋葬に関わる施設と考えられます。