◎輝く島原人Vol.36 先人の思いを形に ~三会原の開拓者~  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第36回目は、地域農業や土地改良事業のリーダーとして、農業振興のために長年尽力している林田 俊秀(はやしだ としひで)さんを紹介します。 「人生の達人」林田 俊秀さん(72)  昭和23年、出平町生まれ。島原農業高校を卒業後、五代目として家業の農業を継ぐ。平成10年、三会原土地改良区理事就任を機に、三会原地区の農地整備に邁進。  地域農業、土地改良事業のリーダー的存在として、島原の農業発展に尽力している。  三会原土地改良区理事長(H20年~)、長崎県土地改良事業功労者表彰(H25)、全国土地改良事業功績者表彰(H27)、旭日単光章(令和2年春叙勲)出平町在住。 (写真)有明海を背後に、区画整理された三会原地区の農地に立つ林田さん ○農業人として生きる誇り  幼い頃、祖父の膝の上に乗りながら、将来農業の道へ進むことを期待されていた林田さん。幼いながらも両親や周囲の環境などから、それを自然と受け入れ順調に農業の道を志しました。  島原農業高校卒業後は、家族と一緒に葉タバコやショウガ、ニンジンなどを育てる農業を営む日々。当時は日中、種まきや収穫などの畑仕事、日没後は家で収穫した農作物の出荷準備に励むなど、朝から晩まで働きずくめの毎日でした。  小さな農地で少ない働き手、幅員も狭く小型の農業機械しか通れない農道、河川やため池、自然降雨に頼る水不足の環境では、効率的で安定した農業経営を目指すのは困難でした。それでも林田さんは、「農業で利益を得ることは大切ですが、それ以上に安全・安心で優良な農作物を生産、提供し続けることが、私の一番大切な使命です」と農業に携わる思いを話してくれました。  その昔、青年団の祭りなどのイベントを通じて知り合い、一緒になった奥様と苦楽を共にしながら、70歳を過ぎた今でも三会原の大地に元気に立ち続けています。 ○思いをつなぎ、未来を委ねる  三会原地区は昭和40~50年代に、農道や散水環境が整備され農業環境は改善しましたが、時間の経過と共に施設の老朽化による維持管理費の増大が目立ってきました。  平成10年頃、島原半島の農業環境改善に対する県からの強い後押しを背景に、林田さんは先代理事長らの思いを引き継ぎ、基盤整備による大規模で効率的な農業を目指し、関係農家に積極的に働きかけました。  その熱意と人柄、リーダーシップに賛同し、狭くバラバラだった農地を整備統合する区画整理と散水環境の更新事業が進められ、農業経営の効率化と所得向上が図られました。「この事業無くして、今の農業は考えられません。昔に比べ本当に楽になりました。地域住民の皆さんが自分のことよりも、地域全体のことを一番に考える風土が先人から受け継がれているおかげです」と、感謝の思いを語ってくれました。  これからの農業後継者たちへ、「これから先、自分たちの未来は、自分たちで決めて欲しい。地域住民や仲間とのつながり、話し合いによる協調を大切にして、明るい島原の農業をみんなで切り開いて欲しいです」と、熱いエールを送ってくれました。 (写真)現役でショウガ(上)やニンジン(右下)を育てる林田さん。旭日単光章受章を祝い、夫婦揃って記念写真(左下)