◎輝く島原人Vol.37 鎮魂の思い、永遠(とわ)に  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第37回目は、市遺族会の代表として、本市出身の戦没者やそのご遺族へ深い敬意を払うとともに、恒久平和を求め尽力している長池 要七(ながいけ ようしち)さんを紹介します。 「人生の達人」長池 要七さん(75)  昭和19年、有家町生まれ。小学2年の頃から島原市で暮らす。福岡大学卒業後、家業の呉服店を営み、60代で市遺族会会長に就任、県連副会長も務める。「太鼓」を通して地域の子どもたちに伝統芸能の継承にも尽力。島原市遺族会会長(H25~)、島原市教育委員会表彰(H25)、島原ライオンズクラブ第59代会長(H28)、長崎県連合遺族会副会長(H29~)。湊町在住。 (写真)令和2年度島原市戦没者追悼式で、島原市遺族会会長として「遺族謝辞」を述べる長池さん ○亡き父への思いを胸に  結婚3カ月後、父は中国へ出征。1~2年して戻るも、その7カ月後、今度はフィリピンへ出征。両親はわずか10カ月間の夫婦生活でした。  終戦間際に生まれた長池さんが物心ついた時、父は既に戦争の尊い犠牲となっていました。  40代になり、高齢の母の代わりに遺族会へ加入。平成25年、当時の会長が任期半ばで急遽交代となり、「若い人が主体」という遺族会の意向から、一番若かった長池さんは68歳で新会長に選ばれました。「他の遺族会と比べても一番若いため、周囲から優しくされるので感謝しています」と話す姿に、誰からも慕われる優しい人柄が伺えます。  特に印象深い思い出のひとつに、理事や評議員の皆さんに支えられ実施できた、全国でも珍しい市遺族会単独の戦後70周年記念式典があります。「コロナ禍で先が見えない毎日。今振り返ればあの時実施して、本当に良かったです」と、当時を振り返り話してくれました。 戦後75年が経過し、市遺族会にも戦争経験者が一人もいない現実があります。「それでも、先人の苦労があったからこそ、今の日本があることを子どもたちに語り伝え続けることが私の使命です」と、会長としての思いを話してくれました。 ○太鼓がつなぐ伝統と絆  青年会議所時代、伝統芸能を掘り起こす「草の根文化運動」に取り組んでいた際、雲仙普賢岳噴火の鎮魂と防災の祈りを込めて始まった「不知火太鼓」に出会いました。  しかし、太鼓のリズムは「文字」としてしか残っておらず、仲間と試行錯誤のうえ、太鼓のリズムを復活させました。その後も保存会を設立、数多くのイベントに出演、協賛金を得ることで太鼓を増やすなどし、活躍の場を広げていきました。  平成5年、学習利用促進事業の一講座として「子ども不知火太鼓」が開講。島原第二小学校で子どもたちを指導し続け、平成21年には長崎県教育委員会表彰を受賞するなど、島原を代表する伝統芸能のひとつになりました。毎年のように市民音楽祭や敬老行事、島原ふるさと産業まつりなどで、大勢の観衆を独特のリズムで魅了し続けています。  「太鼓を通して仲間との深い絆や一緒に努力した思い出を作り、大人になっても太鼓を通して様々な場面で活躍できるような人になって欲しいです」と、子どもたちの将来を見守る優しい笑顔で話してくれました。 (写真)第二小学校で「子ども不知火太鼓クラブ」の児童に太鼓の指導をする長池さん