◎輝く島原人Vol.38 「ひとりじゃない ~母の愛が結ぶ絆~」  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第38回目は、ひとり親家庭の幸せを実現するため、仲間とともに様々な活動をしている伊藤 サツキ(いとう さつき)さんを紹介します。 「人生の達人」伊藤 サツキさん(78)  昭和17年、島原市生まれ。高校まで地元で過ごし、長崎大学卒業後、教職の道へと進むも、母の看病のため途中退職。  看病の傍ら母子父子自立支援員になったのをきっかけに、母子寡婦福祉会との関係が始まる。平成26年から同会長を務め、ひとり親やその子どもたちの幸せを実現するため日々尽力している。  島原市母子寡婦福祉会会長(H26~)、社会福祉協議会評議員(H26~)、県後期高齢者医療広域連合会委員(R1~)。新山在住。 (写真)がまだすドーム・ワンダーラボでの「溶岩ドーム実験」の様子(11月8日ひとり親家庭の研修) ○新しい世界の始まり  長崎大学卒業後、中学校教諭として、南串中学校を皮切りに、6つの中学校へ赴任。「母の具合が良いうちに親孝行したい」という強い思いから、教員を辞める決断をしました。  その後は、障害のある母を支えながら、病院や市役所を訪れる中、元教員の大平 美惠子(おおひら みえこ)先生の強い勧めから母子父子自立支援員(以下、支援員)になり、70歳になるまで約13年間務めました。  支援員の始まりと同時に、母子寡婦福祉会(以下、母子会)との関わりも始まりました。  伊藤さんは、最愛の夫を49歳という若さで亡くしていますが、支援員になるまで、母子会の存在すら知りませんでした。実際に会に入ってみると、相談対象や相談内容も幅広く多岐に渡り、教育現場とは違う自分の知らない世界に驚き、戸惑いもありました。  「地域の皆さんの協力や行政の手助け、そして子どもたちのために一生懸命努力してくれる会の仲間には、本当に頭が下がる思いです」と、支えてくれる人たちへの感謝の気持ちを話してくれました ○握ったその手を離さないで  ひとり親などに支給されている「児童扶養手当」は戦後、全国の母子会の皆さんが国に対する涙ぐましい交渉を続けた結果、勝ち取った権利です。当たり前のようにある支援も、先人の努力と苦労の上で成り立っているのです。  「同じ立場にいるからこそ、分かる悩みがあるはずです。子ども向けイベントや、保護者向け資格取得や研修会など様々な行事や事業をしているので、気軽に参加してください。何らかの形で助けることが出来る人々がいることを知って欲しいです」と、ひとり親の皆さんに対する思いを語ってくれました。  子どもの頃、尊敬する母が口癖のように言っていた言葉が、今でも忘れられません。  「天知る、地知る、人が知る。」  自分に正直に、正しいと思う道をこれからも真っ直ぐ歩んでいきます。  「ひとりぼっちをつくりたくない。私ひとりでは力不足の時もありますが、周囲の人々に感謝しながら、不安や悲しみを抱えている親や子の暖かい手を離さないように、これからも活動を続けていきたいです」と、これからの目標を話してくれました。 (写真右)中学校の数学教師として、教壇に立つ伊藤さん(第二中学校時代) (写真左)小さな子を持つ親子のために、手作りマスクを製作、寄贈する伊藤さんと母子会の皆さん