◎輝く島原人Vol.42 「お世話できる幸せ」  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第42回目は、スポーツの指導や町内会活動を通して地域の結束に努めている田中 三智雄(たなか みちお)さんを紹介します。 「人生の達人」田中 三智雄(86)  昭和9年、吾妻町(旧守山村)生まれ。幼少期を地元で過ごし、日本体育大学卒業後、中学・高校の教職に就き陸上競技の指導者として活躍。退職後、平成12年から現在に至るまで、地元町内会長として地域住民の親睦と融和に努め、明るく住みやすいまちづくりに尽力。長崎県教育委員会表彰(H2)、長崎県体育功労賞(H7)、島原市表彰(R2)、長崎県民表彰(R2)。城見町在住。 (写真:城見町町内会長として、総会に向けて会計担当と話し合う田中さん) ○指導者として生きる半生  高度経済成長期の昭和39年、設立2年目の島原工業高校の体育教師として勤務することになった田中さん。専門分野の陸上競技を幅広く指導しました。  昭和50年のインターハイでは、やり投げと5000mで2人の選手を輩出。やり投げは優勝、5000mは3位の成績を残し、選手とともに指導者としての結果を残しました。結果が残せたのは、選手の資質が一番なのは当然のこと、選手と同じ目線になって一緒に努力した、指導者としての田中さんの役割が不可欠でした。「スポーツは心技体のいずれも大切ですが、中でも『心』を最も大切にしています。相手の話を聞く思いやりを持ち続けたいです」と指導方針を語ってくれました。  島原工業高校勤務を機に島原市陸上競技協会に加入し、生徒以外にも幅広く、地元の子どもたちのために陸上の指導を行いながら、同会長を約10年間務め上げました。平成5年、長年の功績が認められ「終身第一種公認審判員」を日本陸上競技連盟から委嘱され、県内外で幅広く陸上競技の審判として参加する多忙な日々を過ごしました。 ○地域に尽くす奉仕の心  40代から参加した子ども会では体育部長を務め、地区の町内会同士の親睦を深めるために、スポーツ大会やキャンプなど、親子共々一緒になって参加し、地域の団結を深めました。  子ども会からの自然の流れで町内会への関わりは深まり、平成12年に町内会長となりました。以来20年以上経った今でも地域の中心として活動しています。「子どもの減少で親同士の関わりが減り、高齢化で役員のなり手がいなくなることが心配です」と町内会の未来を危惧しています。  4年前に木の剪定中に転落して以来、万全の体調とは言えない日々が続いています。それでも周囲の仲間の願いから始めた20年以上続く「田中卓球」で、指導を行いながら自身の健康づくりに励んでいます。  「健康だから他人のお世話ができる、お世話ができている間は自分も元気で幸せだと気づかされました。若いころお世話になった地域の人々に恩返しをする意味でも、お世話できる幸せを胸に、元気であり続けられる限り自分の人生を捧げる覚悟です」と、今後の目標を語ってくれました。 (写真:左)市陸上競技協会長として、全国大会へ出場する選手たちと一緒に来庁(H25.8) (写真:右)健康維持のため、仲間と一緒に卓球を楽しむ田中さん