◎雲仙・普賢岳噴火災害30年 写真で振り返る噴火災害 (写真1)198年ぶりに雲仙・普賢岳の噴火活動が始まった、地獄跡火口(左)と九十九島火口からの噴煙 H2.11 (写真2)当時の避難所の様子 H3.5 (写真3)定点付近を流れる大火砕流 H3.5 (写真4)夜の火砕流(地獄跡火口の北東側斜面) H3.8 (写真5)市内へ押し寄せる噴煙(市役所屋上) H3.9 (写真6)台風10号の影響で土石流が発生 H4.8 (写真7)大火砕流が千本木地区を直撃 H5.6 (写真8)任務を終えた自衛隊を見送る市民の皆さん H7.12 (写真9)定点に三角錐を設置 H13.5 (写真10)'93 島原ファンタジア H5.12 (写真11)普賢岳とがんばる号 H6.8 (写真12)日本を救えチャリティーコンサート 泉谷しげる・福山雅治 H6.10 (写真13)仁田団地竣工式 H7.1 (写真14)復興フェスタ H9.4 (写真15)島原復興アリーナ落成 H12.8 (写真16)島原・雲仙学生駅伝 H10.11 (写真17)いのりの日 H10.6 (写真18)噴火災害15周年犠牲者追悼式(ヘリコプターによる上空からの慰霊) H18.6 (写真19)噴火災害25周年犠牲者追悼式 H28.6 ◎市長メッセージ  平成3年6月3日午後4時8分大火砕流が発生、全ての島原市民の生活が一変した瞬間でした。  当時、私は青果業を営みながら、消防団活動をしていました。第三小学校の体育館へ安中地区の住民が大挙避難し、大混乱の中で何がなんだか分からないまま、走り回っていたのを覚えています。  消防団員12人を含む43人が亡くなり、明日がどうなるか不安な毎日の中で、仮設住宅への移動、集団移転や住居再建など、一致団結してふるさとの復興へ行動した、当時の被災者の方々へあらためて頭の下がる思いです。そしてそれを支えた国、県、自衛隊など、多くの皆さんへ感謝を申し上げます。  今、水無川周辺は美しい緑の景色が広がっています。春夏秋冬、自然環境は私たちにエネルギーを与えてくれます。30年経った今、あらためて犠牲になられた御霊のご冥福をお祈りするとともに、さらなるふるさと島原の発展を願っています。  島原市長 古川 骼O郎