◎輝く島原人Vol.49 一意専心に生きる ~父に学ぶ文学の道~  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第49回目は、文学を愛し、教育の道を一筋に歩み続ける宮﨑 金助(みやざき きんすけ)さんを紹介します。 「人生の達人」宮﨑 金助さん(81) 昭和15年、島原市で生まれ、幼少期を島原半島で過ごす。地元の高校卒業後、國學院大學へ進学。卒業後は高校の国語科教師として教壇に立つ。退職後も本市教育長や文化連盟委員長を務めるなど、生涯にわたり学校教育の振興と発展に尽力。島原市教育委員会教育長(H17~H21)、端宝小綬章(H25)、島原市文化連盟委員長(H25~R2)、市制施行75周年特別功労(H27)。古丁在住。 (写真)清風庵(せいふうあん)と名付けた自宅の中庭に立ち、優しく微笑む宮﨑さん ○感性のまま邁(まい)進する人生  教師だった父の影響もあり、幼少期を島原市や雲仙市で過ごした宮﨑さん。幼いころから本に囲まれ、「文章」を身近に感じる環境で育ちました。日本文学、とりわけ古典に興味関心があり、國學院大學文学部文学科へ進学。大学卒業後は、父への憧れや尊敬を胸に、高校の国語科教師としての道を歩み始めました。  初めて赴任した、県立島原商業高等学校初代校長の井上 彰(いのうえ あきら)先生が「文学の道」に精通しており、この運命の出会いが、古典への興味関心をさらに高めていきました。  その後も、教師のみならず県教育庁指導主事や県総務部総務学事課参事などを勤め、県内各地へ赴き教師や保護者向けに教育講和を数多く行うなど、今まで積み上げてきた経験や知識を伝える活動を精力的に行い、平成13年3月、県立佐世保工業高等学校長を最後に定年退職。同年に本市教育委員へ就任、平成17年からは教育長を4年間務めるなど、本市の教育行政のために全力を注ぎました。  「今でも慕ってくれる、当時の生徒たちがいます。生涯を通して『つながり』を持てる教師の道を歩めて私は本当に幸せです」と、教師人生を振り返り、今の思いを語ってくれました。 ○大切なものを生涯守り続ける  幼いころから日本文学に親しんできた宮﨑さん。父の部屋にあった「葉隠(はがくれ)」の本が大好きで、後にそれらを分かりやすくまとめた書籍『「葉隠」からのメッセージ』を、自身で出版するほど夢中になりました。趣味で続ける琴古流(きんこりゅう)の尺八や夢想神伝流(むそうしんでんりゅう)の居合道も、「葉隠」の教えからかもしれません。  不慮の事故で車いす生活となった長女の美奈さんが、豪州大陸の車いす横断を目指した際、周囲の反対をよそに娘の背中を押したのが父の金助さんでした。父親譲りの真っすぐで強い意志の娘を、誰よりも信頼していたからです。大陸横断を無事果たし、役目を終えた美奈さんの車いすを前に、「これが我が家の宝物です」と、優しい父の笑顔で話してくれました。  現在は主な要職を退き、苦労を共にしてきた奥様と「清風庵」と名付けた自宅で、夫婦水入らずの時間を大切に過ごしています。「今後は元気でいられる限り、日本文学の特徴や魅力を皆さんに語り伝え続けたいです」と、今後の目標を語ってくれました。 (写真右)平成 25 年秋の叙勲・勲章伝達式へ夫婦で参加 (写真中)居合道の稽古中に家族で記念撮影 (写真左・ワイプ)豪州横断する娘の美奈(みな)さんと伴走する自転車冒険家の坂東(ばんどう)さん