◎輝く島原人Vol.50 「健康がくれた人生」 ~運命を分けた心掛け~  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第50回目は、自身の経験と行動を通して、健康の大切さを伝える活動を続けている伊藤 吾(いとう あづま)さんを紹介します。 「人生の達人」伊藤 吾さん(79)  昭和17年、島原市秩父が浦町で生まれ、育つ。大学卒業後、小学校教師として教壇に立つ。退職後は民生委員児童委員や健康づくり推進員を長年務めるなど、地域住民の暮らしや社会福祉の向上に尽力。市民生委員児童委員(H16~ R2)、市健康づくり推進員連絡会会長(H30~)、市制施行80周年記念表彰 社会福祉功労(R2)。南崩山町在住。 (写真)健康維持のために、週4回の早朝硬式テニスで朝から汗を流す伊藤さん ○「運命が引き寄せた教師への道」  大学は商学部に所属し、卒業後は県外企業へ就職が決まっていた伊藤さん。家庭の事情により、県内での就職を余儀なくされました。 偶然にも先輩の勧めで、小・中・高校の教員免許状を取得していた努力が幸いし、教師として働く道を手にしました。  初めての赴任先は、対馬市立比田勝(ひたかつ)小学校でした。当時は放課後にスポーツをしたり、深夜まで教育論を語り合うなど充実した教師生活を過ごす中、奥様の紀美子(きみこ)さんとの運命的な出逢いを果たしました。  本土に戻ってからは、市内の小学校を異動。三小時代には島原半島一周マラソンを若い教師6人で始め、三会小勤務のときは学校までマラソン通勤するほどマラソンに熱中し、天草パールシーマラソンなどへ夫婦で参加するなど、夫婦二人三脚で走り続けました。最近では、九州オルレ島原コースに夫婦で参加するなど、仲の良い姿は結婚から半世紀以上経った今も変わりません。  平成13年に昭和46年ごろ勤務していた三小へ、校長として再び赴任。「当時の教え子が保護者になっている姿を見て、時の流れを感じ、感慨深いものがありました」と、38年間に渡る教師人生を振り返り、当時の思いを語ってくれました。 ○後半「健康であり続ける意味」  雨の日以外は退職後から始めたテニスを毎日の日課にしている伊藤さん。1日8000歩を目標に、雨のときは傘をさしてウォーキングするなど、1度決めた目標と健康維持にこだわります。  いつも笑顔で明るい伊藤さんですが、55歳のときに肺がんを患い、闘病生活を送りました。人間ドックで早期発見に至り、回復を遂げた経験が健康に対する強い意識にあらわれています。  「朝からスポーツで汗を流し、午後は家庭菜園で野菜を育てる。適量のお酒と十分な睡眠、早寝早起きが日課です」と、健康の秘訣を教えてくれました。  退職後は民生委員として地域を支え、平成24年には新たに発足された市健康づくり推進員へ加入、平成30年から同会長を務めています。主な活動の1つに「特定健診受診の呼びかけ」があります。推進員の仲間と共に年間約3700人を訪問し、重要性や受け方などを説明すると、毎年半数程度の人は受診をしてくれます。  「最近は新型コロナの影響で、活動ができず残念です。地域の皆さんの健康状態の確認や病気の早期発見で、長生きのお役に立てるように、私自身が1日でも長く健康であり続けたいです」と、優しい笑顔で今後の目標を語ってくれました。   (写真左)夫婦で市金婚祝賀式へ参加(R1) (写真中)軟式テニスクラブ(おもと会)の仲間たち (写真右)天草パールシーマラソンに参加(当時45歳)