◎輝く島原人Vol.52 「道を照らすお手伝い」~人生の道先案内人~  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第52回目は、宮司を務めながら長年に渡り、島原地区の保護司活動の推進に尽力している野澤 正三(のざわ しょうぞう)さんを紹介します。 「人生の達人」野澤 正三さん(73)  昭和24年、島原市有明町湯江で生まれ、育つ。大学卒業後に神主免許を取得。大阪や佐世保の神社で修業を重ねたのち帰郷。湯江温泉神社の宮司を務めながら保護司として犯罪や非行をした人々の更生を助ける社会奉仕活動に尽力。 島原地区保護司会副会長(H23~R3)、県神職保護司会副会長(H24~)、市制施行75周年記念表彰(H27)、法務大臣表彰(H30)、神社本庁褒賞(H31)、藍綬褒章・島原市表彰(R2)。有明町湯江在住。 (写真中央)ベテラン宮司の証である紫色の装束をまとい、境内の入口に立つ野澤さん ○「守り続ける伝統と歴史」  大学卒業後、神主になるための免許を取得した野澤さん。1度は養鶏組合へ就職したものの、県の神社庁からの依頼でわずか数カ月で官幣大社(かんぺいたいしゃ)の大鳥神社(大阪)で、権禰宜(ごんねぎ)として働くことになりました。最初は修業のつもりでしたが、経済学部卒で数字に強く前向きな性格が評価され、1年目から会計課長を任されるなど中心的存在として活躍しました。多くの貴重な経験をした後、佐世保の亀山八幡宮でも同様に、権禰宜としての職責を果たしました。  30歳で地元へ帰郷、神主として守り続ける湯江温泉神社で働き始めました。当時は、禰宜(ねぎ)として宮司の父を支えるだけでは生活が厳しく、潜水工事会社と二足のわらじの生活でした。会社の始業前や昼休み、終業後の時間を上手に利用しながら神社を支える生活を17年間続け、父の死をきっかけに34代目の宮司となりました。  県の神社庁から南島原市堂崎地区の4神社の管理を任されるなど、通常は無い事例でも「何事も好機として捉え、前向きな姿勢で取り組むように心掛けています」と、豊富な経験からくる自信に満ちた笑顔で話してくれました。 ○「更生の道へ導く先駆者」  宮司をしながら託児所を営んでいたころ、有明地区の保護司が不在となり、野澤さんに白羽の矢が立ちました。保護司となり薬物乱用防止活動やラジオ番組出演など、先陣を切って新しい取り組み、更生保護サポートセンター初代センター長として、協力雇用主の開拓や社会貢献活動の場作りに努めました。  保護対象者の減少で、担当実績が無い保護司がいる中、地域・年齢・性別の異なる対象者20人以上を更生の道へ導きました。「ほとんどの人が更生し、人生をやり直してくれました。しかし、過去に1人だけ県内唯一「更生の見込みが無い」と報告。その直後、警察に捕まった人がいました。他にも更生に至らず、再犯を起こしたのが2人です。今、思い返しても胸が苦しくなります」と、心に残る辛い思い出を話してくれました。  「対象者と向かい合う際は、調査表を頭に全て叩き込み、事件の背景を考察し、質問を整理して臨みます。頭ごなしに叱らず、話しやすい場を作ることで互いの距離を縮められるのです」と、取組方針を教えてくれました。「昨年で主な役職を退いたので、これからは宮司を80歳まで、保護司を定年まで続けられるように頑張ります」と、今後の目標を語ってくれました。 (写真右)子どもの健やかな成長を願う野澤さん(七五三詣) (写真左)保護司としての功績が認められ藍綬褒章(R2秋)を受章