◆P10-11 ◎輝く島原人Vol.57 島原に生きる  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第57回目は、伊東作藏(いとう さくぞう)さん(82)「練習は、嘘をつかない。」 略歴  昭和14年、島原市生まれ。坂下町で少年期を過ごす。教職の道を志し、大学卒業後、中学校教諭として教壇に立つ。  長年にわたり中学校バレーボール部の指導者として活躍し、島原市バレーボール協会では会長(H16~H22)などの要職を歴任。  定年退職後は島原復興アリーナの初代館長(H12~H16)、島原市社会福祉協議会会長(H26~R1)などを務め、本市のスポーツ振興や地域福祉の向上などに尽力。  現在は、地域の教育活動や第三小学校で白山バレーボールクラブの指導を行っている。  長崎県体育協会表彰(H7)、長崎県教育委員会表彰(H17)、文部科学大臣表彰(H19)、日本スポーツ少年団顕彰(H30)など。崩山町在住。 前段 ●バレーとの出会い、仲間との出会い  大学卒業後、新任教諭として長崎市立戸町中学校に赴任。経験がなかったバレーボール部の監督を頼まれたことが伊東さんのバレー指導の始まりでした。 「新任の学校で女子バレー部の顧問を引き受けることになりましたが、その縁で素晴らしい指導者仲間や、いろいろな人たちと出会うことができましたね」と語ります。  伊東さんは、近くの高校のバレー部に出向いて指導法を学ぶなどし、持ち前の情熱で着任から5年目でチームを長崎市中体連での優勝に導きます。  30歳の年に島原へ転勤となり帰郷。  第二中学校、第三中学校など、市内で13年間教壇に立った後、島原市教育委員会での勤務となり、体育課の指導主事として3年間、そして体育課長として3年間、本市のスポーツ振興に力を注ぎました。  島原に帰郷してからの活躍は目覚ましく、中学校体育大会(中体連)において県大会で優勝5回、九州大会で優勝1回、全国大会へ4回の出場を果たし、当時、島原女子バレーボールの黄金時代を築きます。  指導者としての大変さをお聞きすると「中学校では生徒指導も長年やってきました。部活動では、授業中には見えない生徒たちの姿を見ることができます。苦労したという気持ちは全くありませんよ」と語ってくれました。  その人柄と熱意、実績から島原市バレーボール協会の役員を歴任し、平成16年から6年間、会長を務め、競技力向上や普及に尽力しました。 後段 ●子どもたちの応援団として  平成12年、島原第二小学校(校長)で定年退職を迎えた同年、島原復興アリーナの初代館長に就任。  5年間、県内屈指の複合スポーツ施設の運営責任者として、全国レベルのスポーツ大会や各種イベント、Vリーグなどのプロスポーツ誘致などに奔走。  この5年間はさすがにバレーの指導はできなかったそうです。  退職後は同級生に勧められて加入した男声合唱団Yoi-Doure(ヨイドーレ)に参加。  「もともと私は中学校の部活は合唱部に入っていましてね。歌うことは好きなんですよ」と語ります。  また、平成26年から約5年間、島原市社会福祉協議会の会長を務め、地域福祉の向上に貢献しました。  最近は町内会(崩山町)や退職公務員連盟の仲間で、週に4回ほどグラウンドゴルフを楽しんでいるそうです。  「地域や町内会の皆さんと楽しく親睦を深めながら、人とのつながりを大切にしていきたいですね」  「さくぞう先生」の呼び名で親しまれる伊東さん。  現在は母校である第三小学校の白山バレーボールクラブで指導をしています。  「子どもたちの応援団として、できることは続けていきたいですね」と、将来を担う子どもたちへの思いを語ってくれました。 (P10写真)真剣な眼差しで子どもたちに指導する伊東先生 (P11写真)チームからプレゼントされた手作りの座布団 (P11中段写真)レシーブの指導をする伊東先生 (P11右下の上)昭和48年、第二中学校が県中体連で初優勝したときの集合写真 (P11右下の下)町内会の皆さんとグラウンドゴルフで楽しく交流