◇輝く島原人Vol.59  地域を守る「使命」と「責任」   「人生の達人」荒木 修(あらき おさむ)さん(70)  昭和27年、広馬場町で生まれ、育つ。  大学卒業後、福岡でアパレルブランド「VAN JACKET」に就職。  3年間勤務した後、家業である福屋衣料店を継ぐため25歳で帰郷し現在に至る。  衣料品店を営む傍ら、みなと商店街の役員として「みなと夏祭り」の企画運営のほか、育友会活動、白山バレーボールクラブの指導、消防団、上広馬場町内会長など精力的に地域活動に尽力。  現在は、令和3年4月に設立した白山地区自主防災会の会長を務め、地域防災のリーダーとして活躍している。  島原市消防団(S59〜H25副団長で退団)、上広馬場町内会長(H27〜R3)、白山地区自主防災会会長(R3〜)、白山地区町内会連絡協議会副会長(R3〜)、防災士。  島原市教育委員会表彰(H11)、島原市表彰(H26)、日本消防協会長表彰 精績章(H19)、県知事表彰 永年勤続功労章(H22)、消防庁長官表彰 永年勤続功労章(H23)など。広馬場町在住。 (写真)防災食を持ち笑顔でインタビューに答える荒木さん (左下写真)町内の危険箇所、避難ルートを確認しながらの防災マップづくり 前段 ●消防団活動を通じて培われた精神 広馬場町で先代から続く衣料品店を営む荒木さん。 朝は地元第三小学校入口の横断歩道でのあいさつ運動が日課です。 家業を継ぐため25歳で帰郷。仕事に子育てにと、忙しい日々の合間を縫って、育友会や消防団活動、みなと商店街の役員など、積極的に地域活動に汗を流してきました。 特に消防団での活動は、その後の荒木さんの人生に大きな影響を与えました。 32歳で消防団に入団した数年後には雲仙普賢岳噴火災害が発生します。 「三小の体育館に安中地区の方々が避難して来られました。 地元分団として物資の配送や炊き出しなどの支援活動を行いましたが、初めての経験で日々勉強でした。 その時の経験は今の自主防災会での活動にも生きています」と語ります。 また、消防団では危険を伴う火災現場での消火活動にあたります。 「当時は、建物火災が多くて月に1回程度は出動していましたね」と振り返ります。 先輩から厳しい指導を受けながら経験を積み、やがて後輩を指導するリーダー的存在に。 平成15年には第13分団の分団長として5年間、平成20年度からは中央地区の消防団を統括する副団長として、6年間重責を担いました。 「火災現場では責任者として冷静に状況を把握し、的確に指示を出すことが求められます。いろいろな現場がありましたが、事故や団員にけが人を出すことなく退団できたときは、心からホッとしました」と語ります。 「消防団活動を通じて、自己犠牲の精神というのでしょうか。 困っている人がいれば体を張ってでも助けてあげたいという気持ちが培われたと思います。 消防団活動をしていなければ今の私はないでしょうね」と約30年間の消防団活動を振り返りました。 後段 ●自分たちの地域は自分たちで守る 噴火災害を契機に市内全町内会に組織された自主防災会でしたが、形骸化が危惧されていました。 そのような状況に危機感を感じ、町内会の協力のもと、荒木さんらが中心となり令和3年4月に「白山地区自主防災会」を設立。 初代会長としての活動が始まりました。 「白山地区には消防団や消防署OBの方々も多く、地域の防災リーダーとして役割を担っていただいています。 町内会単位での防災マップづくりや消火訓練などの活動も広がってきましたし、地区独自で企画した訓練も2回行うことができました。 手探りですが、とにかくやってみる。その中から課題も見えてくる。 地道な活動を通じて地域の皆さんにも防災意識を高めてほしいと思います。 私はそのために与えられた仕事を一生懸命やるだけ。 『日本一の自主防災組織のある島原』に少しでも近づけるように、地域に根差して頑張っていきたいですね」と、自主防災会にかける熱い思いを語っていただきました。