P10-11 ◇輝く島原人Vol.60  愛郷無限「人間到る処に青山あり」   「食卓に薬草を」大場 敏江(おおば としえ)さん(74) 昭和23年、香川県で生まれる。幼少期に大阪府に移り、結婚を機に島原へ。 平成17年にNPO法人島原薬草会の事務局を手伝い始めたことがきっかけとなり薬草と関わる。 日本における薬草研究の第一人者、故・村上光太郎教授の指導のもと、 市民向け講座や勉強会の開催、薬草フェアなどイベントでの薬草料理の紹介やふるまいに積極的に参加。 平成19年からは旧島原藩薬園跡(国指定史跡)の非常勤職員として7年間勤務し、薬草の普及・啓発はもとより地域の活性化に尽力。 現在も、薬草の効能や相談など、全国からの問い合わせに対応している。船泊町在住。 (P10写真)笑顔で作業する大場さん (P11写真) タンポポ女子部の皆さんと(旧島原藩薬園跡にて) (P11写真右上)村上先生を講師に迎えて子供薬草講座を開催(平成22年) (P11写真右下) 薬草フェアで新・秋の七草がゆを提供(平成30年) 前段 ●食べる薬草との出会い 「夫婦共に若い時より今の方が元気なんですよ」と、笑顔で話す大場さん。  薬草との出会いは今から約17年前にさかのぼります。  薬草を活用した島原の活性化に取り組むため、島原薬草趣味の会が母体となり、平成17年に「NPO法人島原薬草会」が設立されます。 「当時、会長さんからお願いされて、NPO法人にするための仕事を手伝うことになったんです。  パソコンを使っての会計処理や資料作りなど、慣れない作業でしたが何とかこなしていきました」と、当時を振り返ります。  そこで、崇城大学薬学部(熊本県)の教授で、日本における薬草学の第一人者であった故・村上光太郎先生と出会います。  大場さんは事務局として、持ち前の前向きな性格で薬草教室の企画運営など、村上先生のサポートをし、薬草会の活動を広げていきました。 「村上先生には薬草講座や講演会などを通じて、いろいろなことを教わりました。先生に出会っていなければここまで薬草に深く関わることはなかったでしょうね。  特に『食べる薬草』を広められた先生で、自然の恵みを一番効率よく取り入れる方法は『食べる』ということを学びました。  薬草フェアでは、おいしくてミネラルたっぷりの「新・秋の七草がゆ」を先生が考案し、昼夜で1000食を提供しました。  おかわり続出で大好評だったんですよ」と、村上先生と活動を共にした当時を振り返ります。 後段 ●自然の恵みでみんな笑顔に 薬草好きの女性が活動するサークル「タンポポ女子部」では中心的存在の大場さん。  毎月の勉強会やイベントでの薬草の紹介、薬草料理のふるまいなどを行っていましたが、新型コロナウイルスの影響でしばらく活動ができていないそうです。  現在は、ご主人が営む「島原薬草健合同会社」をタンポポ女子部の一員としてサポートする大場さん。薬草を使った商品は島原スペシャルクオリティに認定されています。 「火山灰を含んだ島原の大地に育つ薬草はとてもミネラル分が豊富なんです。まさに火山の恵みですね。人間は自然から遠ざかるほど病気に近づくという言葉があります。  自然に育まれた薬草を食生活に取り入れて、皆さんが健康で笑顔になればうれしいですね」と語っていただきました。