P12-13 ◇輝く島原人Vol.63  家庭と地域で育む子どもの未来   「人生の達人」金子 統太郎(かねこ・とうたろう)さん(80) 昭和17年、有明町湯江で生まれ、育つ。教職の道を志し、大学卒業後、小学校教諭として教壇に立つ。 主に島原半島を中心に県内小学校に勤務、県教育庁では生涯学習課長、島原教育事務所長などを歴任し、島原市はもとより県教育行政における指導的立場として教育活動に尽力。 平成14年に定年退職後も、大学講師・特別専任教授として活水女子大学など約10年間、教育の道を志す学生に教鞭を執る。 また城之尾自治会長(H18〜H24)、民生委員児童委員(H25〜H28)など、地域づくりや福祉の向上に貢献。現在は、島原市社会教育委員の会委員長として本市社会教育の振興に取り組む。 教育者文部科学大臣表彰(H13)、南有馬町教育功労者表彰(H17)、島原市教育委員会表彰(H30)、全国社会教育委員連合表彰(R4)など。有明町城之尾在住。 (P12写真)母校の湯江小学校で見守り活動中の金子さん (P12下の写真)高野少年ソフトボールクラブの監督時代(昭和57年) (P13左上の写真)「しまばら 家庭教育三・三・七拍子」の推進について打ち合わせ (P13中央の写真)ソフトテニスを楽しむ金子さん (P13左下の写真)6年間(全144号)発行した「城之尾自治会だより」を手に、大人も子どももにぎやかに活動していた当時を振り返る金子さん 前段 ●すべては子どもたちのために〜教育に捧げた人生 少年の日(毎月一日)に母校の湯江小学校で、見守り活動を続ける金子さん。新任教諭として教職人生のスタートも湯江小学校でした。 「当時は児童数も多くとても活気がありました。その時の教え子は70歳近くになりますが、今でも交流が続いているんですよ」と、笑顔で話します。 青少年スポーツの指導にも情熱を注ぎました。37歳で赴任した高野小学校では、少年ソフトボールクラブの監督として6年間指導にあたりました。 「2年生以上のほとんどの男子が加入していました。一番多いときは4チームが編成できるほど賑やかでした」と、当時を振り返ります。 持ち前の熱意と指導力で昼夜を分かたず子どもたちと向き合う日々を送りました。 44歳の時には、文部省の教員海外派遣事業に参加。「全国から参加した23名の視察団で約1カ月間、5カ国(オーストリア、チェコスロバキア、ベルギー、フランス、アメリカ)を訪問し、海外の授業や教育文化施設を視察する機会に恵まれました。 教育関係者との交流など忘れられない貴重な学びとなりました」と、語ります。 その後は県教育庁生涯学習課長など教育行政の要職を歴任。島原教育事務所長で定年退職を迎えましたが、金子さんの教育人生は終わることはありませんでした。 積み重ねた経験と指導力を見込まれ、定年退職の翌月から県立シーボルト大学の非常勤講師として再び教壇に立ちます。 同時期に県立農業大学校非常勤講師、活水女子大学では7年間特別専任教授として教鞭を執りました。 「大学での講義は初めてなので、授業の準備は大変でしたが、学生の前向きに学ぶ姿勢に触発されて、約10年間、私自身も充実した時間となりました。 その時の学生が県内外で保育士や教員として活躍していることをとても嬉しく思っています」と、語っていただきました。 後段 ●「大人も子どももみんな顔なじみ」 「大学勤務と並行して平成18年から城之尾自治会の自治会長を6年間務めました。 会員としての意識や連帯感を育むため、自治会だよりを毎月2回発行して地域の行事や出来事などを目に見える形でお知らせしました。 行事などへの参加呼びかけも行い、全世代が仲良く楽しく活動する〔大人も子どももみんな顔なじみ〕の自治会を目指して取り組みました」と、振り返ります。  現在は、島原市社会教育委員の会の委員長として本市社会教育の振興に取り組んでいます。 社会教育委員の会では、家庭の教育力向上を目指し、「しまばら 家庭教育 三・三・七拍子」のリーフレットを作成し啓発活動に力を入れています。  今年1月で81歳を迎える金子さん。「退職後の楽しみとして66歳から始めたソフトテニスで週3回、仲間と楽しく汗を流しています。 これまで生かされてきたことに感謝し、ゆっくりのんびり、宝のような時間を大切に過ごしていきたいですね」と、語っていただきました。