P12-13 ◆輝く島原人Vol.65島原に生きる 【ふるさとを唄う】   「人生の達人」鵜川 義顕(うがわ よしあき)さん(76)  昭和21年、島原市白土町で生まれ、下川尻町で少年時代を過ごす。  高校卒業後、自衛官の道へ進むが運動中のけがのため24歳で退官。  島原に帰郷し家業(うがわ珍味)を継ぐ。  20歳の頃、航空自衛隊芦屋救難隊(福岡県)に在職中、上司の勧めで民謡と出会い、帰郷後も家業を営みながら民謡を精力的に学ぶ。  島原半島では民謡指導の先駆者として、民謡の普及継承、後進の指導に長年尽力している。  日本民謡民舞全国大会成年一部優勝(H2)、日本民謡協会民謡貢献章(H9)、日本民謡協会感謝状(発掘民謡「島原胴突き唄」H20)、島原半島文化賞(H21)、など。  H22から「島原うがわ会」を主宰し、島原市民音楽祭では邦楽の部会長を務める。新山一丁目在住。 (写真)○民謡教室で指導する鵜川さん     ○島原半島文化賞授賞式(H21) 前段 ●民謡に魅せられて 日本各地の風土、労働や風習など生活の中から生まれた「民謡」。  その世界に魅せられ、島原半島でも数少ない指導者として民謡の伝承と後進の指導育成に情熱を注いでいるのは鵜川義顕さんです。 「子供の頃から歌が好きでした。特に三橋美智也さんが好きで、高校生の頃に出場したのど自慢では長崎県大会にも出場しました。  自衛隊に就職し、官舎で歌いながら洗濯をしていたら「お前は声も大きくて歌が上手だから民謡をやってみないか」と、上官から誘われました。  その方は民謡の指導者で、私の最初の師匠となるわけですが、教室に行き始めると歌うことの喜びに魅了され本格的に練習を始めました。  この出会いがなかったら今の私はなかったでしょうね」と、民謡との出会いを振り返ります。  民謡には欠かせない三味線や尺八は、ほとんど独学で習得されたそうです。 「民謡にもいろいろな種類がありますが、農業や漁業、山仕事など労働の中から生まれた仕事唄に惹かれますね。  仕事のつらさを紛らわせるために自然発生的に生まれたものです。歌い継がれてきた歌詞があり、その仕事に合ったリズムとテンポがあります。  情景を思い描き、心を込めて歌うことを大切にしています」と、民謡の魅力を語ります。 後段 ●地域に眠る民謡に光を 島原半島には、建物を新築する際に基礎工事の土固めの作業唄、祝い唄として「土搗き(ドーヅキ)唄」が伝わっており、三会地区では「島原土搗唄保存会」が伝承活動に取り組まれています。  鵜川さんは、土搗唄を研究するため、市内を中心に実際に歌える方に話を聞くなど調査を行いました。 「土搗唄は全国各地に存在し、島原半島にもいくつか残っていますが、これを民謡「島原胴突き唄」として歌う活動を行いました。  これが、平成20年に日本民謡協会から発掘民謡として認定され、全国大会で発表することができました。  昨年は、山口県で開催された地域伝統芸能全国大会で長崎県代表として披露したんですよ」と、笑顔で話します。  現在、民謡教室「島原うがわ会」を主宰し20人を超える会員さんに指導しています。 「私はとにかく民謡を歌うことが好きなんです。市外にも指導に出向きます。民謡人口は減少傾向にありますが、若い人や子供さんにも民謡の世界に触れてみてほしいですね。  日本の素晴らしい文化である民謡に興味をもってもらえればうれしいです」民謡一筋に生きる鵜川さん。これからも民謡が歌い継がれていくことへの思いを語りました。