P12-13 ◇輝く島原人Vol.66島原に生きる 【走一番星 好きなことを全力で】   「人生の達人」林田ヒサ(はやしだ ひさ)さん(81)  昭和16年、長崎市土井首に生まれる。大学卒業後、中学校の体育教諭として新上五島町の中学校に赴任、以降は島原半島の中学校に勤務。 部活動では主に陸上部の顧問として指導に情熱を注ぐ。自身もランナーとして全国各地のレースに多数出場し、好成績を残す。 ホノルルマラソンでは初めてのフルマラソンに挑戦し完走(61歳)。 平成11年スポーツ・レクリエーション祭山形県大会第1位(800m クラスW55)など、入賞歴多数。県内最高齢女性ランナーとして活躍している。有明町一野在住。 (写真)自宅敷地内のマラソンメダル記念館「走一番星(はしるいちばんぼし)」にて。数えきれないほどのメダルやトロフィーが並ぶ。 前段 ●マラソンが繋ぐ教え子との交流 「走ることがとにかく大好きなんです」と、語るのは県内最高齢の女性ランナーとして全国各地のレースで活躍する林田ヒサさんです。 中学校の体育教諭を定年退職し、80歳を過ぎた今でも、毎朝のジョギング(約8キロ)を欠かしません。 「しっかり準備運動をしてロードに出ます。43年間続けています。朝日を浴びながら走るのは気持ちがいいですよ」と、語ります。 最近はコロナ禍で出場する機会が減りましたが、それまでは、九州はもとより遠くは東京の青梅マラソンなど年間約25レースに出場していたそうです。 「土日はほとんどレースに出ている感じですね。先日は南島原市の原城マラソンに出場しました。次は福岡県小郡市の大会に行ってきます。 福岡に住む息子も一緒に参加するので楽しみです」と、笑顔で語ります。 体育教諭として最初の赴任地は新上五島町の若松中学校でした。 「五島列島夕やけマラソンには毎年参加しています。当時の教え子たちも65歳を過ぎましたが、宿の手配や同窓会を開いてくれたり、とても歓迎してくれるんです。 青梅マラソンでは東京にいる瑞穂中学校卒業の教え子たちが応援に来てくれて同窓会を開いてくれます。とても幸せなことですね」教え子たちに慕われる喜びに笑顔を見せます。 後段 ●走ることへの尽きない情熱 マラソンのおかげで病気ひとつせず年齢を重ねてきた林田さんですが、15年前、いつもの朝のジョギング中、腰に痛みが走り動けなくなったそうです。 「どうにか自宅までたどり着きましたが、とにかく腰が痛くて動けないんです。主人に病院に連れて行ってもらい、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)であることがわかりました」 医師からは手術を勧められましたが、薬とリハビリで復帰する道を選びます。 「翌日、歩くことから始めました。つらい毎日でしたが少しづつ歩ける距離を伸ばしていきました」懸命にリハビリに取り組み、約三カ月後には走れるほどに。 「このまま走れなくなるのは絶対に嫌だという気持ちでした。私は負けず嫌いの意地っ張りなんですよ」と、語ります。 じっとしていることが大嫌いという林田さん。 時間があれば庭の手入れや自宅横の花畑で大好きな花のお世話を楽しんでいるそうです。 「走ることは私の生きがい。きついですが、ゴールしたときの達成感は何とも言えないですね。これからも体のメンテナンスをしながら走り続けますよ!」と、元気に語っていただきました。