◆P12-13 ◇輝く島原人Vol.69島原に生きる 【伝統を踊り継ぐ】 「人生の達人」山口 節子(やまぐち せつこ)さん(80) 昭和18年、福岡市に生まれる。昭和45年に島原へ。4人の子どもの子育てと家業である園芸店の仕事に勤しむ。忙しい日々にあっても家族の理解の中、大好きなスポーツ(バレーボール、硬式テニス)活動にも参加。現在は卓球のクラブに所属し週2回の練習に汗を流す。 商工会議所の女性会活動の中で島原七万石踊りに出会い、長年眠っていた踊りとその歴史に感銘。その復活に有志らで取り組み、「島原七万石を踊る会」を結成、伝承活動に取り組む。長年の活動が認められ島原半島文化賞を受賞(R2)。設立時から会長を務める。城西中の丁在住。 (写真)○島原藩主深溝松平家墓所がある愛知県幸田町本光寺での踊り(令和4年11月) ○島原七万石を踊る会の皆さん 〇「重ね扇」の着物姿で真剣に踊る子どもたち 前段 ●復活させた「島原七万石踊り」 島原七万石踊りは、戦後間もない昭和25年に、地域復興のため、当時の観光団体が郷土作家の宮ア康平氏に作詞を依頼し、曲や踊りもあわせて作られました。昭和30年代にかけて地域の祭りや行事などで盛んに踊られていましたが、時代の流れによって徐々に衰退してしまいました。  「今から17ほど前になるでしょうか。商工会議所女性会で活動していた頃、県大会のアトラクションを企画する中で島原七万石踊りに出会いました。すでに踊られなくなって長い年月が経過していましたが、その唄や歴史を知るほどに、島原に伝えていくべき素晴らしい郷土芸能だと強く思い、踊りを復活させるための活動を始めました。」と、振り返るのは「島原七万石を踊る会」会長の山口さんです。  踊る会は平成19年11月に結成。資料集めや昔の踊りや唄を知る人に話を聞いたり、民謡の先生にお願いして曲を収録してもらうなど奔走したそうです。「大変でしたが、皆さんのご協力のおかげで、現在の形で踊りを披露させていただけるようになりました。市内はもとより市外での行事など、島原を代表する芸能の一つとして出演のお声掛けをいただくようになったことはとても嬉しいことです。」と、語ります。 ●伝統を次の世代へ 現在、踊る会では二十数名の会員と賛同する市内3つの保育園で活動しています。「次の世代に継承していくために、保育園への指導に力を入れています。踊りは武士の節度ある姿を意識し、凛とした優美さが特徴です。練習では緊張感もあり、子どもたちが落ち着きや協調性を身に着けるよい機会にもなると考えています。唄と踊りを通じて島原の歴史や文化を学び、伝統を継承することで、故郷への誇りと愛着が形成されることを願っています。」と、思いを語ります。 6月10日(土)には子どもたちの発表の場として、「第二回島原七万石を踊る会 ちびっこ百人踊り」を島原城西の櫓前で開催しました。「子どもたちの着物は数年前に、皆さまからのご支援をいただいて揃えさせていただきました。島原藩主、松平家の家紋「重ね扇」の着物を着る機会はほとんどありません。袖を通した子どもたちはとても嬉しそうにしてくれます。みんな一生懸命上手に踊ってくれました。」と、笑顔で語る山口さん。 今後の展望については「会の運営も皆さんの協力があってのこと。私は今できる事を頑張るだけです。70年以上の歴史がある島原七万石踊りが郷土に誇る伝承芸能として、子どもたちと市民が一緒になって親しまれ、島原半島に鳴り響く日を思い、愛着されていくことを願っています。」と、語っていただきました。