◆P02-03 ●島原城「どんなお城なの?」と聞かれたら 島原城とは  島原城は元和4年(1618年) から約7年の歳月をかけて松倉重 政が築いた城です。  築城以降、島原は島原半島の政 治、経済、文化の中心地として発展 しました。  明治4年(1871年) の廃藩 置県に伴って廃城となり、明治6 年(1873年) の「存城廃城令」 の後に、城郭内の土地と建物すべ てが民間に売却されました。  戦後、本丸に模擬の天守や櫓が 建設され島原観光の中心となり、 島原市のシンボル的な存在となっ ています。  ここで、右の島原城之図を見て みましょう。城は、南北に長い長方 形の形をした外郭。東西約360 m 、南北約1260mの内側に、 南から本丸、二の丸、三の丸が一列 に並んでいました。  現在、本丸と二の丸は、島原城跡 公園として親しまれていて、本丸 には天守が復興されています。二 の丸には島原文化会館や森岳公民 館が、藩主の御殿があった三の丸 には、第一小学校や島原高校が 建っています。 〔島原城之図〕(本光寺常盤歴史資料館所蔵) 〔島原藩領内図屏風〕(本光寺常盤歴史資料館所蔵・島原城部分) ●無駄を削ぎ落とした 日本のお城の到達点  1615年、一国一城令が発布。 島原城は城を造ってはいけない 時代に幕府の許可を得て築城さ れました。  江戸時代の大名は、今でいう転 勤族。戦国時代の知識・技術の集 大成である島原城は、シンプルで 使いやすい「戦う城」で、徹底的に 無駄を削ぎ落としながらも、効率 よく敵を倒していく工夫が至る 所になされていたといいます。ま さに日本の城づくりの到達点と もいえる城でした。  1637年。あの『島原・天草 一揆』では、一揆軍の猛攻を耐え 抜いた城郭でもあります。実戦経 験があり、かつ落城しなかった城 は極めて珍しいほか、1792年 の未曾有の大災害となった島原 大変でも崩れることはありませ んでした。これは、島原城の堅牢 性と、松倉重政の築城技術の高さ を証明しているといえます。  日本全国津々浦々にある城。し かし一つとして同じ城はありま せん。地形や築城思想などさまざ まな特長があります。  古人が残した記録を見て島原 を歩けば、現代までの営みと共 に、往時の島原が時を超えて見え てくるようです。  島原で今を生きる私たち。島原 の財産「島原城」を新時代へ繋げ るため、築城400年を、島原城 の価値を知り、親しむ機会にしま せんか。  島原城観光復興記念館では、 「島原城おさらい展」が開催中で す。(8月1日~10月9日) 第42回全国城下町シンポジウム島原大会 8月26日(土)10時~19時島原城・島原文化会館 オープニングフォーラム 「世界にはばたけ悠久の島原城」 講 師 佐賀大学 宮武 正登 教授      (歴史学博士) 島原城と城下町の真価 - 日本城郭の到達点- 第1 部 講演 第2 部 トークセッション と  き 1 1 時10 分-12 時30 分 ところ 島原文化会館中ホール 定 員 180 人 メインフォーラム 「Lead the FUTURE 」 ~地域のあり方・可能性とは~ 講 師  成田 悠輔 氏     (経済学者・データ科学者) 第1 部  講演 第2 部  トークセッション と  き  15時20分-16時30分 ところ 島原文化会館大ホール 定 員  1,100 人 フェスや 出店も あるよ! (チラシあり) 申込み不要入場無料 詳しくは公式ホームページを チェック(2次元コード)