◆P12-13 ◇輝く島原人Vol.71島原に生きる 【土と向き合う ゼロからの陶芸人生】 「人生の達人」桑取 敬二郎(くわとり けいじろう)さん(66)  昭和31年、大下町に生まれ、育つ。幼少期からものづくりや絵を描くことが好きで、九州芸術工科大学(現在の九州大学芸術工学部)に進み、大学院では美術工芸史を学ぶ。その後、島原に帰郷し、陶芸で身を立てるため、独学で作陶を始める。 島原を感じる作品を作ろうと、生地には島原半島の土を使い、釉薬には火山灰、眉山のセレクト土、みかん灰、わら灰などを使う。島原焼窯元 陶房「草まくら」の代表として「使っていて心が温かくなるような器」をテーマに日夜作陶に励んでいる。 令和4年、「島原焼」が島原スペシャルクオリティに認定。  地域では大下北町内会の会計を務め、陶房を兼ねた住まいがある南崩山町に在住。 (写真) ○本物そっくり!陶器の鏡餅「一生長餅」     ○正月用の作品の「削り」作業 前段 ●独学で始めた陶芸の道  木々に囲まれた高台にひっそりと佇む、島原焼窯元、陶房「草まくら」。 ギャラリーには温かさを感じる皿や器、遊び心あふれる素朴でかわいい干支飾りなど様々な焼き物が出迎えてくれます。 ここで約40年、土と向き合い、作陶を続けているのは桑取敬二郎さんです。  幼い頃から物作りや絵を描くことが大好きだったという桑取さん。 将来は工業デザイナーを目指し、大学は九州芸術工科大学(現在の九州大学芸術工学部)に進みますが、徐々に純粋美術の分野に関心が移っていき、大学院では美術工芸史を学びます。 そこで九州の窯元を巡る機会があり、「こういうことをして一生暮らすことができたら、どんなに人生楽しいだろうか。」と、思ったのが陶芸を始めるきっかけとなりました。  大学院を卒業すると、島原に帰郷し、実家の小屋で作陶を始めます。 「陶芸の経験はなかったので、全て独学でした。材料となる土探しから全くのゼロからのスタートで、釉薬の調合も実際に焼いてみないとどういう発色になるのかわかりません。 失敗や経験を積み重ねながら知識と技術を身に着けていきました。」と、当時の苦労を振り返ります。 後段 ●「使いたい」と思うものを作る  独学でスタートした作陶活動でしたが、陶芸に対する熱意と研究心で、陶房としての経営も軌道に乗り始めます。 そんな矢先、雲仙・普賢岳噴火災害により約3年間、市外での避難生活を強いられました。生活するにも大変な状況でしたが避難先でも作陶を続け、火山灰を釉薬として使うなど、島原らしさを取り入れていきます。 そして、平成7年の秋、天皇皇后両陛下御来島の際、桑取さんの作品「流し掛け釉四方大皿」がお買い上げとなり、翌年の新春に皇居の応接の間に飾られたことが、その後の作陶生活の大きな励みになったそうです。  「振り返ると、あっという間の40年間でした。大変な時期もありましたが、自分であれこれ工夫して作ったものがうまく出来た時の喜びは何ものにも代え難いです。造形や釉薬の調合、焼成温度など技術的なこと はいろいろありますが、素材の性質を引き出してやる直感的なセンスが一番大切だと思っています。自分好みの自分が使いたいものを作る。そしてそれを気に入った方が買って下さればそれで良いと思っています。」 と、自然体で作陶に向き合う陶芸家としての思いを語っていただきました。