●ふるさと再発見 ○時鐘楼(じしょうろう)  師走となり、一年の締めくくりの月です。そして、大晦日には、市内各地で除夜の鐘の音が聞かれます。島原商業高校の北側にある「時鐘楼」でも地元の皆さんの協力で除夜の鐘が突かれます。  この「時鐘楼」を作らせたのは、名君と名高い島原藩主松平忠房(まつだいらただふさ)公です。忠房公は、人々に時刻を守ることを奨励しました。  寛文(かんぶん)12(1672)年に今の場所に鐘突堂を建設し、延宝(えんぽう)3(1673)年ごろに、当時の島原藩領であった豊後国国東郡(ぶんごのくにくにさきぐん)の職人、藤原正次(ふじわら まさづぐ)に鐘を造らせました。  当時、時刻を知らせる鐘はどのように打たれたかというと、少し離れた別の番所で線香を燃やし、その減り方で時を計り、太鼓で鐘を打つタイミングを知らせていたそうです。後には、時計を基準にするようになりました。  松平家が東京に移った明治時代以降も島原の人たちに親しまれていた鐘ですが、太平洋戦争下の昭和19年の金属供出令により持ち去られたため、建物だけが残りました。  現在の鐘は、昭和55年に、有志の浄財により復元されたものであり、故北村西望氏の銘文が添えられています。  大晦日は、時鐘楼の歴史に思いを馳せながら、その鐘の音を味わってみてはいかがでしょうか。  (写真@)時鐘楼の外観  (写真A)時鐘楼の鐘に銘記されている故北村西望氏「天地 正大気」の銘文の写真 ●クローズアップ  ○「島原木綿保存会」  (写真)「島原木綿保存会」会員の集合写真  島原市指定無形文化財「島原木綿」が幻の反物と言われていることを皆さんはご存知ですか。  「島原木綿」は、400年以上の歴史があり、昭和の初期までは有明・三会地区などで盛んに織られていました。しかし、戦時中の綿糸不足と戦後の衣料革命によりほとんど市場から姿を消してしまいました。  今回、紹介するのは、この幻の反物「島原木綿」を再現し、その手織りの技術を継承している「島原木綿保存会」の皆さんです。  同会は、旧有明町で島原木綿の復 活の機運が高まり、平成2年に発足。今年はちょうど25周年になります。 現在、7人の会員が週3回、有明公民館で「島原木綿」の織り上げ技術を磨き、継承していくとともに展示会の開催など、その魅力を伝える活動を行っています。  会長の金子加代子(かねこ かよこ)さんに話を伺うと「『木綿の道と極楽の道は一歩(一本)たりとも誤ることはできません』と先人たちに教えられました。実際、通す糸を一つでも間違うと布を織ることはできません。私たちは、先人たちが残した素晴らしい技術を正しく継承していきたいです」と話してくれました。  会員の皆さんは、「島原木綿が完成するまでは根気がいりますが、みんなと協力して作業をしたり、お茶を飲みながらおしゃべりするのがとても楽しいです」と笑顔で話してくれました。  幻の反物「島原木綿」の技術と伝統を末永く継承してほしいものです。  「島原木綿」に興味のある人は、有明公民館(68−1101)に問い合わせてください。  (写真@)金子加代子が島原木綿を織っている様子  (写真AB)島原木綿の写真