●ふるさと再発見 ○島原城址(じょうし)からの眺望  大正から昭和初期までの新聞を見ると、要人が島原城址を訪れたという記事をいくつか拾い上げることができます。  1924(大正13)年7月9日、佐世保鎮守府長官 伏見宮博恭(ふしみのみやひろやす)が島原を視察しました。本丸に登り、街の様子を眺めながら島原の乱や島原の地誌などについての説明を受けました。サイダーを飲みつつ、「熊本はどの方角だ」、「ああ、あの山の向こうか」と言ったことまで記されています。  同年11月21日、フランス大使ポール・クローデルは、雲仙を目指して、三池(現福岡県大牟田市)から三井物産の汽船諏訪丸で南風楼前に上陸しました。南風楼で小休止する予定を変更して向かったのが島原城址です。  同行した商務官および通訳とともに、晩秋の島原の眺望にしばし見入っていたということです。  軍事参事官で前陸軍大臣の荒木貞夫(あらきさだお)が訪れた1934(昭和9)年10月11日の記事には、荒木が「意味深長の感慨を漏らし」とあります。時を忘れて眺望に見入る様子とともに、当時の不穏な時勢が記事から垣間見えます。  眺望は時の移ろいとともに変化していきます。例えば城址からの景観もまた文化的遺産だと意識して見れば、普段何気なく目にするまちの姿が違ったものに見えるのかもしれません。  いつもと違った風景を探しに島原城に登ってみませんか。  (写真)大正13 年11月21日付島原毎日新聞 「フランス大使ポール・クローデルが来島したときの記事」 ●クローズアップ  ○「種村繁守(たねむらしげもり)さん」  (写真)自宅に開設した噴火災害記念館の看板前で種村繁守さんを写した写真  今回、紹介するのは、雲仙・普賢岳噴火災害の記録を後世に伝えようと、昨年11月に自宅の倉庫を改装して噴火災害資料館を開設した種村繁守さんです。  種村さんは、子どものころから普賢岳や眉山などに登り、山のことが詳しくなりました。噴火後も山に登り、写真や動画を撮影するなど、噴火活動を記録し続けてきました。資料館には、火口から噴煙が上がる様子や火砕流、溶岩ドームなどの災害に関する写真のほか、山で採れる薬草などを展示しています。また、種村さんは、20年前からボランティアで地元の子どもたちに山登りや自然の遊びなどを教える活動も行っています。  種村さんは「災害から25年経ち、山には緑が戻ってきて、災害の面影や記憶が薄れてきています。だから、この資料館を通じて、山の恐ろしさを伝える一方で、山の恵みについても伝えていきたいです。そして、自然の力には人の力は及びませんが、自然と触れ合い、知ることで少しでも自然災害の被害を少なくすることができるということを伝えたいです」と話してくれました。  災害から25年の節目の年。あらためて自然災害の恐ろしさ、そして自然の恵みについて、考えるきっかけにしてみませんか。  資料館は小山町の旧島原藩薬園跡そば。開館は、10時から15時まで。入場料は無料ですが、事前に種村さん(64−0106)に連絡してください。  (写真@)噴火災害記念館内の写真、壁には雲仙・普賢岳噴火当時の様子の写真が展示してある  (写真A)山で採れる薬草の瓶詰めとその写真を展示している様子  (写真B)雲仙・普賢岳の溶岩を展示している様子