●ふるさと再発見 ○宣教師が見た中世の島原  現在、中央公園に「浜の城」伝承碑が建っています。これは中世に島原の領主であった嶋原氏の城があったとされることに基づいて建てられたものです。そして、その城の周辺には町も形成されていたと考えられています。1794(寛政4)年の島原大変で崩落した眉山の土砂で埋没してしまったため、今となっては「浜の城」や町の面影を見ることはできませんが、1563(永禄6)年から1597(慶長2)年にかけて、日本で布教活動を行ったイエズス会宣教師ルイス・フロイスが、ローマに送るためにまとめた『日本史』という報告集には中世のころの島原が記録されています。  それによると島原の町には町内の見廻りを行う「別当(べっとう)」と呼ばれる役人が配置されていました。興味深いことに、フロイスは、日本語で発音されていたとおり、アルファベットで「ベットウ」とつづっています。  1577(天正5)年に佐賀の龍造寺氏が島原半島に侵攻すると、嶋原氏は有馬氏から龍造寺氏に寝返りました。このとき、半島内の主だった領主たちも有馬氏から次々と寝返ります。   そのことについてもフロイスは、島原という土地は有馬氏の本拠地である有馬に次ぐ主要な土地であり、嶋原氏の寝返りは他の領主たちの寝返りを誘発することになったとも記録しています。  日本から遠く離れたローマへの報告の中に島原のことが記されていることは、大航海時代の国際的な交流が島原でもあったことを示し、非常に感慨深いものがあります。 ※参考文献:松田毅一(まつだ きいち)訳「フロイス日本史」(中央公論社、1979) (写真)中央公園にある「浜の城」伝承碑 ●クローズアップ  ○「歩いて食べよう会」 (写真)歩いて食べよう会の会員の皆さんの集合写真  今回、紹介するのは、楽しく歩いて食べて、健康づくりに取り組んでいる「歩いて食べよう会」の皆さんです。  この会は、平成24年から活動が始まりました。現在、15人の会員が毎週金曜日に島原文化会館に集まり1時間30分から2時間程度、市内を歩きます。そして、毎月最後の金曜日は、歩いた後においしい昼食を食べます。また、時には、市外の観光地などにも行って歩いたりします。  代表の中島弘子(なかしまひろこ)さんは、「ウォーキングの講習会をきっかけに楽しみながら歩きたいという仲間が集まってこの会ができました。女性ばかりなので、自分たちのペースでゆっくりとおしゃべりしながら歩くのは楽しいです。また、健康づくりにもなります」と話してくれました。  会員の皆さんは、「季節によって歩くコースを決めます。季節の花を見つけたり、知らない路地を歩いて新しい発見をしたり、とても楽しいです。また、歩いた後は達成感があって気持ちが良いです」と笑顔で話してくれました。  「歩いて食べよう会」は4月3日に開催される「さくらウォーキング」に参加します。皆さんも暖かくなってきたこの季節に参加してみてはいかがでしょうか。  また、「歩いて食べよう会」に興味のある人は、金曜日の9時30分に島原文化会館に来てください。  (写真@)歩いて食べよう会の会員の皆さんが妙見岳で撮った集合写真  (写真A)歩いて食べよう会の会員の皆さんの食事の際の写真