●つなごう!未来へ 島原半島ユネスコ世界ジオパーク76 島原半島ジオパーク協議会(65-5540) ○南島原市布津町にある「世界一」  毎月、島原半島内のジオサイトやその見どころを紹介するこのコーナー。  今回は、「布津町にある世界一」を紹介します。 ▼「島原大変・肥後迷惑」  今から224年前の1792(寛政4)年5月21日、眉山が、火山活動に伴う強い地震によって大崩壊を起こしました。大量の土砂が海に流れ込んだために津波が発生し、島原半島だけでなく熊本・天草の沿岸を含め、広い範囲で甚大な被害が出ました。  「島原大変・肥後迷惑」という言葉で語り継がれる大災害です。 ▼布津町にある「世界一」  この時発生した津波は、南島原市布津町の沿岸にも押し寄せました。「大変後島原絵図」は、眉山の崩壊によって生じた津波がどこまで達したかが示されている大変貴重な絵図です。この絵図によると、布津町の大崎鼻は全体が津波で浸水したとされ、その高さは「汐サ十九丈」と伝えられています。一丈が約3メートルですから、「十九丈」といえば、標高50メートルを超える高さまで津波が押し寄せたことになります。  津波は地震だけでなく、ダム湖や狭い入り江の中に大量の土砂が流れ込んで発生することもあります。しかし、火山活動に伴う地すべりが引き起こした津波としては、布津町大崎鼻に達した高さが世界一です。  それにしても、布津町以外のところでは津波が達した場所の標高は10〜15メートル程であるにもかかわらず、なぜ布津町だけ特に高いところまで津波が押し寄せたのでしょうか。 ▼布津町大崎鼻  布津町には、数十万年間に及ぶ布津断層の動きにより、深江町側の地面が沈むことによってできた崖があります。この崖の先端にあるのが大崎鼻です。  眉山の崩壊に伴い、大きな波紋となって有明海の中に広がっていった津波はあたかもその進行をくい止める屏風のように、海に突き出ている大崎鼻を直撃したのです。これが、布津町で特に高い場所まで津波が押し寄せた理由です。  (写真)布津町大崎鼻:(海にとんがったような地形で、)布津断層の動きがつくった地形  大崎鼻に建てられている供養塔は、かつてこの場所が島原大変による津波で大きな被害を受けたことを、今に伝えています。  (写真)布津町大崎鼻の先端に建てられている流死菩提供養塔の写真  次回は「定点」を紹介します。 ●「島原半島ユネスコ世界ジオパーク」の新しいロゴができました  世界ジオパークネットワークの活動がユネスコの正式事業として承認されたことに伴い、新しい「島原半島ユネスコ世界ジオパーク」のロゴができました。  右下に各ジオパークの名称が入ります。今後は、「島原半島ユネスコ世界ジオパーク」の活動の推進に活用していきます。  (写真)「島原半島ユネスコ世界ジオパーク」のロゴの写真