●つなごう!未来へ 島原半島ユネスコ世界ジオパーク77 島原半島ジオパーク協議会(65-5540) ○「定点」〜雲仙・普賢岳噴火災害から25 年目を迎えて〜 ▼溶岩ドームと火砕流  1991年5月20日に普賢岳山頂の東にある地獄跡火口から噴出しはじめた粘り気の強い溶岩は、ドーム状の地形を作りながら成長を続け、ついにはその一部が山の縁から崩れ始めました。崩れた溶岩ドームの一部は、地面とぶつかった衝撃で細かく砕け、溶岩の中に閉じ込められていたガスが一気に噴き出しました。  その後、高温の溶岩の破片とガスが一つの流れとなって、周りの空気を巻き込みながら、地面の上を滑空するかのように山の斜面を一気に流れ下りました。火砕流の発生です。 ▼定点  「定点」は島原市上木場地区の葉タバコ畑の中にあった県道の一角です。当時、火砕流という噴火現象は、日本はもちろん、世界的にもあまり観測事例がありませんでした。谷を流れる火砕流をほぼ真正面から撮影できたこの場所は、絶好の撮影場所となり、いつしか「定点」と呼ばれるようになりました。珍しい火砕流の迫力ある映像を収めようと多くの報道関係者が避難勧告区域内に立ち入って撮影を続けたのです。  1991年6月3日は、朝から天気は下り坂でした。梅雨前線の接近に伴い、午後から雨が降り始めました。そんな曇り空の下、午後4時8分に火砕流が発生しました。水無川の本流を流れ下った火砕流の本体は「定点」の手前で止まりましたが、火砕流と同時に発生した熱風(火砕サージ)は、そのまま「定点」周辺にいた人たちをのみ込んでしまいました。  現在、「定点」には被害に遭われた人たちを弔う白い三角錐が建てられています。 ▼北上木場農業研修所跡地  また、当時の消防団員の詰め所となっていた北上木場農業研修所跡地には、被災した消防自動車やパトカーが展示され、地域の人たちの手によって大切に管理されています。これらの被災遺構は、「25年経過した今も二度と同じ災害を繰り返してはいけない」という強いメッセージを私たちに発信し続けているような気がしてなりません。  次回は雲仙市の「千々石展望台」を紹介します。 ※「定点」および「北上木場農業研修所跡地」は、砂防指定地内にあるため、立ち入ることはできません ●「島原半島ユネスコ世界ジオパークセミナー」  島原半島の歴史・文化・自然、そしてそれらを支えるジオの魅力を専門の先生が毎月やさしく紹介します。  第1回島原半島ユネスコ世界ジオパークセミナー  ▼と き 6月18 日(土) 14 時〜 15 時  ▼ところ 雲仙岳災害記念館 セミナー室  ▼参加料 無料  ▼講 師 松尾 好則 氏(雲仙岳災害記念館長)  ▼題 目 「25年前を振り返って」(仮)  ▼問い合わせ先 島原半島ジオパーク協議会(65-5540)