●ふるさと再発見 ― 松倉重政の入封 ― 1580(天正8) 年に受洗した有馬晴信は、熱心なキリシタンとなり、領内にキリシタン文化を繁栄させます。  徳川幕府からも所領を安堵され、江戸時代初期は日野江藩主として島原半島を治めました。南蛮貿易を主軸とした藩政を行いますが、幕府が主体的に貿易を行うようになると次第に藩財政が逼迫し、ポルトガルとの騒擾(そうじょう)事件をきっかけとする「岡本大八事件」により、1612(慶長17)年に藩主有馬晴信は、甲斐国に配流、死罪を命じられました。この事件をきっかけに徳川幕府は、同年直轄地に禁教令を出し大名に棄教を迫り、1613(慶長18)年には全国に禁教令を拡大しました。  晴信の嫡男・直純は事件に直接関与していなかったことと、家康の養女国姫を正室としていたため、家督と所領の安堵が認められました。自らもキリシタンであった直純は、禁教令に従い棄教し、領内のキリシタンの取り締まりを行いますが、1614(慶長19)年7月に日向国県(わがた)(延岡)に転封となりました。  その後島原半島は、佐賀藩鍋島氏・平戸藩松浦氏・大村藩大村氏の委任統治領となり、島原は、鍋島氏の統治下に入りました。この頃は、幕府から山口直友が上使として来島し領民にキリシタンからの改宗を迫り、改宗しない者には厳しい弾圧が行われました。  そのような情勢の中、1616(元和2)年6月、松倉重政が島原半島へ入封します。  重政は、当初、日野江城で藩政を行いますが、中世以来の領主有馬氏の政治を一新するため、また、地理的条件から2年後、島原に新しい城と城下町を建設します。 ●クローズアップ   今回、紹介するのは、3月から地域おこし協力隊として活動している杉山大介さん・佳恵さん夫婦です。  大介さんは愛知県出身の29歳。佳恵さんは大阪府出身の29歳。杉山さん夫婦は滋賀県で進学塾の講師をしていたそうですが、「地域を元気にする活動がしたい」との強い思いがきっかけとなり、島原の海、山、湧水など自然が豊かなところに魅力を感じて、地域おこし協力隊への応募を決めたそうです。  笑顔が素敵な2人にお話を伺うと、大介さんは、「島原は街を歩くだけで日常に自然が溢れており、楽しいと感じられるところです」。また、佳恵さんは「海、山、美味しい水、食べ物がある島原に来て、とても幸せです」と話してくれました。  今後の取り組みについては、「地域や観光客に愛されていたお店『銀水』を地域の人たちと一緒になって復活させ、多くの観光客が島原に来てほしいです。また、島原の魅力を全国に発信し、移住促進などにも取り組みたいです」と笑顔で話してくれました。  杉山さん夫婦のこれからの取り組みが島原の地域おこしのひとつとなることが期待されます。  現在、杉山さん夫婦をはじめ、地域おこし協力隊は合計6人で活動しています。地域おこし協力隊の取り組みに興味のある人は、フェイスブックをご覧ください。  「愛らしい島原」検索  ▼問い合わせ先 政策企画課(電話62−8012) (写真)地域おこし協力隊 杉山大介さん・佳恵さん夫婦 活動の様子