●つなごう!未来へ 島原半島ユネスコ世界ジオパーク80 島原半島ジオパーク協議会(65-5540) ○災害を伝え続ける貴重な遺構―旧大野木場小学校被災校舎―  毎月、島原半島内のジオサイトやその見どころを紹介するこのコーナー。  今回は災害を伝え続ける貴重な遺構「旧大野木場小学校被災校舎」について紹介します。 ▼強い台風17号が去り、大きく破れたビニールハウスや真ん中から折れた電柱など、暴風による被害の跡がまだ残っていた1991年9月15日。この日は朝から溶岩ドームの崩落が相次ぎました。溶岩ドームが崩れるたびに、小規模な火砕流が溶岩ドームの北東にある「おしが谷」の中に流れ込みました。  午後4時44分、規模の大きな火砕流が発生し、火砕流から舞い上がった噴煙が1500メートル以上の高さまで上昇しました。午後6時42分と54分には、一連の平成噴火の中で最大規模の火砕流が相次いで発生しました。泥団子のように固まった火山灰が大量に降り注いだ市内や深江の市街地は、垂木台地で発生した森林火災の影響で、焦げ臭いにおいに包まれました。 ▼旧大野木場小学校被災校舎  最大規模の火砕流は、おしが谷を通り抜けて水無川に達した後、向きを変え、水無川の中を流れ下りました。  しかし、火砕流から舞い上がった熱風は、向きを変えることなく、そのまま直進し、川沿いにあった大野木場小学校の校舎とその周囲の家屋を直撃したのです。この時、発生した熱風は、火山噴火が原因で発生する突風の一種で、「火砕サージ」と呼ばれます。これまで火砕流の発生に伴って「火砕サージ」が生じることは、主に地層の観察から推定されていたのですが、その存在が実際に確認されたのはこの時の噴火が初めてでした。  被災から25年がたった今でも、旧大野木場小学校の校舎は、当時の姿のまま、噴火を知らない子どもたちや外国の人たちに、あの日、ここで何が起きたのかを静かに伝え続けています。  次回は「日本ジオパークの再審査に向けて」を紹介します。 ●第4回島原半島ユネスコ世界ジオパークセミナー  島原半島の歴史・文化・自然、そしてそれらを支えるジオの魅力を専門の先生が毎月やさしく紹介します。 ▼と き 9月24 日(土) 10 時〜 12 時 ▼ところ 島原城観光復興記念館 ▼参加料 無料 ※車で入場する場合は、駐車場代が必要です ▼講 師 島原史談会 松尾卓次(まつおたくじ) 先生 ▼題 目 日本の100名城「島原城」 ▼問い合わせ先 島原半島ジオパーク協議会(65-5540)