●ふるさと再発見  寺町の祇園山   島原市寺町の光伝寺と叶寺の後方に祇園山と称す小高い山があります。現在は日蓮上人像が建っています。今はすっかり忘れられましたが、かつては市民の信仰を集めた場所で、近年まで社殿が残っていました。  祇園の呼称があるように牛頭天王(こずてんのう)を旧祭神とする社です。勧請年代(かんじょうねんだい)は明かではありませんが、京都の八坂神社や福岡の櫛田神社(博多どんたく)と同じように祇園祭は有名でした。  ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは『日本史』の中で6月15日に祇園祭が行われていたと記述しています。当時の領主は嶋原純茂(しまばらすみしげ)で配下役人に刑部殿(ぎょうぶどの)と呼ばれた人がいました。彼は理由を問わずキリシタンの人々にも祇園祭に参加するように強制しました。永禄5〜6(1562〜3)年ごろと思われます。  このように島原の祇園祭はキリシタン伝来当初も領主や島原領民を含めた慣例的な重要な行事でした。キリシタンに反抗的であった刑部殿は何か失態を演じて斬首され、その後は「イズ殿」(嶋原伊豆守殿)が役人に就任したと『日本史』は伝えます。  祇園山について宝永4(1707)年の検地帳『島原大概様子書』は、6月15日の祭礼と神楽の演舞および杉・松・楠が生い茂り、社人は加賀美安芸であったと記しています。また寛政4(1792)年島原大変前の「島原城下図」(八幡神社蔵)は、参道に赤い鳥居と社殿を鮮明に描いています。  現在、当地を訪れると、昭和2年6月の参道修復記念の標石があります。島原の祇園信仰は、中世から歴然として残っていたのです。 (肥前島原松平文庫長・根井浄) (写真)祇園山(寺町) ●地域おこし協力隊コラムA  みなさんこんにちは。地域おこし協力隊の光野竜司(みつのりゅうじ)です。  島原へやってきてはや9カ月、だいぶ環境や生活にもなじんできた今日この頃です。農業の問題解決を自らのテーマとして活動しており、ようやく行動へ移す段階となりました。「しまばら野菜」を全国の消費者に直接販売する仕組みを作り上げていきます。  具体的には、新たに株式会社を設立し、インターネットを通じて販路を展開していきます。  ネット販売といっても、日本では同じ様な事業、販売方法を行っている会社は多数存在します。そのモデルを島原へもってきて事業を始めても、多数の競合の存在や島原の農業における問題などからおそらく上手くいくことは難しいと思います。  何らかの付加価値、他社との差別化が必要となってきます。要するに島原に適した手段で、現状の問題点を解決するため事業を作りあげる必要があります。  私は、その事業計画を練るためにこれまでの時間を費やしてきました。島原産のブランドイメージの確立、生産者と消費者の一生にわたる関係性の構築、農家の収入の安定化などの実現を目指して取り組んでいます。  現在、島原半島内で20軒ほどの農家と一緒になって事業を進めており、11月からの販売開始を目途に活動しています。  今回は事業計画に関して詳しく掲載できませんが、興味のある人、話を聞いてみたいと思う人は、ぜひ、連絡してください。お待ちしています。  隊員 光野竜司 ▼問い合わせ先 政策企画課(62−8012) (写真)ハウス内で野菜と一緒に写る地域おこし協力隊員の光野さん