●ふるさと再発見  島原御前歌舞伎  島原藩の飛地・豊後国高田算所(さんじょ)地区に歌舞伎を渡世(とせい)とする役者村がありました。人々の演舞は算所歌舞伎と呼ばれ、また、役者集団は島原藩主の前で歌舞伎を披露していました。従って豊後の算所歌舞伎は島原御前(ごぜん)歌舞伎とも呼ばれました。  幕末の『豊州御領村々様子大概書』は算所村の人々について「歌舞伎、狂言致し、他国へも渡世に出る」と紹介しています。島原藩主・松平忠房公は、延宝4(1675)年算所村役者たちが奉仕していた若宮八幡宮に社領を寄進し、元禄12(1699)年には「祭礼儀式絵巻」を奉納・寄進するなど、歌舞伎の保護に努めました。  文政年間の島原御前歌舞伎の名優であった「高嶋三国」の「高嶋」とは、高田と嶋原の一字をとった名であり、それほど算所歌舞伎は島原との交流が盛んでした。また幕末から明治初期には、島原半島出身の女性たちが歌舞伎役者衆に嫁ぐ例が多く知られています。  算所歌舞伎は猛島神社の成就院が勧かんじん進芝居興行として大いに招しょうへい聘しました。『島原藩日記』や『天保雑記録』(松平文庫本)などに記事が散見します。  毎年秋には、島原城で「島原薪能」が公演されています。島原藩の伝統芸能文化として重要であり、また、島原御前歌舞伎(算所歌舞伎)も民衆主体の芸 能として島原の歴史を構築しています。 (肥前島原松平文庫長・根井浄) (イラスト)若宮八幡宮祭礼儀式図絵巻『豊後高田の歴史』より ●地域おこし協力隊コラムB   島原に移住して9カ月が経ちました。  これまでSNSを通じた情報発信や島原をPRするため島原の冬や春に関する写真集をそれぞれ発行し、図書館などに設置しています。  現在、私は島原の大地とアートを組み合わせた『ジオパーク+有機写真』に取り組んでいます。  「有機写真」とは、森の腐葉土の中に、写真を数カ月埋めて、微生物か゛写真の表面を分解してできる現代美術作品の一つです。 つまり、島原の自然を生かして作り上げていく作品なのです。  使用する写真は、インクシ゛ェットフ゜リント紙て゛はなく、銀塩フ゜リント紙です。銀塩プリント紙は、シアン、マゼンダ、イエローの3色から作られていますので、その色が微生物に分解されていく過程で染み出してきます。  その特徴を生かし、写真を島原半島の大地に埋めて、有機写真を制作するのです。これまで、腐葉土を活用してきましたが、今回は初の試みとして、じゃがいも畑の赤土に埋めることとしており、どのように変化するのか楽しみです。  島原の大地を通してできた有機写真は、きっと、魅力的なものになると思います。  できあがった作品は、10月29日(土)〜30日(日)に開催される特大ジオマルシェの企画の一つとして、雲仙岳災害記念館で展示する予定です。  ぜひ、多くの人に特大ジオマルシェに足を運んで、ご覧いただきたいと思います。       隊員 松原 正武(まつばら まさたけ) ▼問い合わせ先 政策企画課(62−8012) (写真)被写体に向けてカメラを構える地域おこし協力隊員の松原さん