●ふるさと再発見   島原半島の山々 島原半島の中央にそびえる雲仙岳は、普賢岳・妙見岳・国見岳の三主峰を含んだ総称です。 古くは温泉山(うんぜんざん)と書いていました。 平成2年からの普賢岳噴火活動によって1486メートルの平成新山となり、県内最高峰の山岳となりました。  キリシタンが伝来した16世紀半ばの温泉山内には、大定院(だいじょういん)・聖徳院(しょうとくいん)・中輪坊(ちゅうりんぼう)・大刀坊(だいとうぼう)・宝乗院(ほうじょういん)・東光坊(とうこうぼう)の六カ寺があり、現在の雲仙満明寺を構成していました。 江戸時代の普賢岳は奥山とも言われ、その奥山に対して眉山は前山と呼ばれていました。後年、 前山から眉山と改称されました。  寛政4(1792)年の普賢岳噴火と地震によって眉山が崩壊し大惨事となったことはよく知られています。幕末の眉山には、異国船入航の警備として、狼のろしば煙場が設けてありました。  半島北部には鉢巻山・吾妻岳・鳥甲山(とりかぶとやま)・舞岳があり、ほぼ横一列に並んでいます。太古時代の側そく火山かも知れません。そして国見町と千々石町の境には九千部岳が(くせんぶだけ)そびえています。  正保2(1645) 年『肥前国高来郡之内高力摂津守領分図(ひぜんのくにたかきぐんのうちこうりきせっつのかみりょうぶんず)』(長崎歴史文化博物館蔵) では「求仙峯(くせんぶ)」 と書いています。求仙とは、中国道教の言葉であり、不老長寿の神仙思想の影響が見られます。 『肥前国高来郡之内嶋原領絵図』(肥前島原松平文庫蔵)にも求仙峯とあります。「九千部」は求仙峯だったのです。  島原半島の山々は、四季折々に素晴らしい山容と色彩をみせてくれます。「ふるさとの山はありがたきかな」という石川啄木の歌を思い出しながら、あらためて山々に対する畏敬と恩恵の念を深くしたいものです。 (肥前島原松平文庫長・根井浄) (絵図)『肥前国高来郡之内嶋原領絵図』(肥前島原松平文庫蔵) ●地域おこし協力隊コラムD  12月で協力隊員としての3年間の任期が終わります。これまで、主に櫨(はぜ)や和ろうそくに関する活動を行ってきました。  着任当初は、本多木蝋(もくろう)工業所(有明町)の古い資料館を、和ろうそくの絵付け体験やさまざまなイベントができる場所に再生しました。その後、絵付け師の本多優美(ほんだゆみ)さんと絵付け体験のワークショップを立ち上げ、月に一度、会議を開いて、パンフレットやパッケージなどについて夜遅くまで話し合ったことを今では懐かしく思います。  そんな地道な活動が実を結んだのは、任期2年目。雑誌やテレビに取り上げられるようになり、観光客や地元の子ども会など市内外から足を運ぶ人が増えました。これまで約2400人以上の人に絵付け体験などを通して、櫨や和ろうそくの魅力を伝えてきました。今後も島原の観光や学習の場として定着していくことを期待しています。  和ろうそく以外の活動では、フェイスブックによる情報発信のほか、地元ケーブルテレビやラジオにも出演しています。また、NCCふるさとCM大賞では、2年連続で入賞し、受賞した動画はNCCのCMとして放映されました。  現在は主に、自身の留学経験を生かして、レポーターとなり、島原弁を交えた日本語の字幕を表記するなど趣向を凝らし、島原の観光地などの魅力を海外に向けて動画で情報発信しています。その動画はユーチューブでご覧いただけますので興味がある人は、ぜひ、検索してみてください。  隊員 中島 愛(なかしま あい) ▼問い合わせ先 政策企画課(62−8012) (写真)和ろうそくで制作した灯籠と一緒に写る中島さん You Tube(動画共有サービス)で「武家屋敷 湧水館」で検索してください