●ふるさと再発見   島原の「ゑけの川」 寛政4(1792)年の島原大変以前の景観を描くという「島原城内外古図」(肥前島原松平文庫蔵)によると、江東寺の前に一本の川を描いています。同年の眉山崩壊によって江東寺は埋没しましたが、崩壊以前に門前から川が流れていたことが分かります。 一方、「島原城内外古図」の原本「島原城下図」( 本光寺蔵) は、この川を「ゑけの川」と記しています。「ゑけ」とは耳慣れない語句です。一般に「えけ」または「えげ」とは「会下」「会解」と書き、僧侶たちの修行所、あるいは配下の寺、同門僧を意味しました。 江東寺は永禄年間(16世紀半ば) に有馬義純の実弟・宣安明言(せんなんみょうごん)を開山として北有馬に創建され、当初は江月寺と号しました。 その後、松倉豊後守重政が島原に入部するに伴って島原の今村に移転したと伝えます。江東寺は松倉重政を開基(かいき)とする菩提寺でもあります。 宣教師のルイス・フロイスは『日本史』に島原の三大寺院の一つとして「イエンゲ」をあげていますが、この「イエンゲ」こそが会下寺であり、江東寺の別称と思われます。江東寺は永禄10(1567) 年、同11年の『肥前日記』に見え、すでに島原に存在していたことが確認できます。 また、『肥前国有馬古老物語』は島原の乱一揆の人達が最初に火を懸けた所が島原の会解寺であり、その会解寺に「龍珠院」とルビを添えています。『島原一揆松倉記』も龍珠院に火を付けたと書いています。実は「龍珠院」とは松倉重政の戒名でもあります。今は忘れられた「ゑけの川」は、江東寺の別称と思われる「会下寺」の門前に流れていた川と言ってよいでしょう。 (肥前島原松平文庫長・根井浄) (絵図)島原城下図(本光寺蔵) ●地域おこし協力隊コラムE  新年あけましておめでとうございます。地域おこし協力隊の杉山佳恵(すぎやまよしえ)です。島原に来て初めてのお正月、島原ならではのお正月を発見するのが楽しみです。  さて、毎日、お店に立っているといろいろなお客さんに出会います。地元の人はもちろん、遠方からの観光客も多く、銀水の知名度の高さを感じています。 ずいぶん昔に購入されたであろうガイドブックを片手に来店されたお客さんは、「いつか行きたいと思っていたら、閉店したと聞いてがっかりしていた。今回、復活したと聞いて飛んできた」と嬉しそうに話してくれました。復活して良かったなと感じる瞬間です。  地元の人からは、「初めのころよりも、2代目の味に近づいてきたね」などとお褒めの言葉をいただけるようにもなってきました。大事にされているお店だからこそ、いろいろなお声をいただきます。落ち込んだり、悩んだりすることもありますが、できることから一つ一つやっていこう、地道に、着実に…と今は考えています。  さて、寒くなってきた今日このごろ。銀水にも新しいメニューが加わりました。以前の銀水でも提供していた「ぜんざい」など、寒い日に美味しいメニューとなっています。かんざらし以外の温かなメューもご用意していますので、ぜひ、銀水にお越しください。 ▼問い合わせ先 政策企画課(62−8012) 冬メニュー(一例) ぜんざい            350円 栗ぜんざい           400円 夫婦(めおと)クリームぜんざい 450円 ねぎ焼き            350円 (写真)冬メニュー栗ぜんざい