◎輝く島原人 THE SCENE Vol.02 島原に生きる  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。  第2回目は「着物を通して島原の魅力を伝えたい」と、慶田久美子さん(73)を紹介します。 (写真1)四明荘の前で微笑む慶田さん  昭和19年、南島原市西有家町で生まれ。子育てが一段落した40代のときに京都の学校で和装の勉強を始め、着付けの資格を得る。着物の先生からその技術を認められ、島原にいながら、日本の着物文化を伝える「文化交流・海外親善大使」として、世界各国で着物ショーに携わる。一方で着物着付け助教授として着物文化の継承も行っている。また、平成16年からは島原市選挙管理委員会委員となり、平成20 年から同委員長も務めた。5年前から湧水庭園「四明荘」の案内人として、観光客を温かく迎えている。宇土町在住。 (写真2)お客様に日本文化や島原の魅力を説明する慶田さん ▼着物の魅力  日本文化の象徴でもある「着物」。新町二丁目にある湧水庭園「四明荘」で着物を着て、訪れた観光客をもてなしているのは、慶田久美子さんです。  40代のころ、子育てが一段落した慶田さんは、「母が花嫁衣裳として用意してくれた着物が家のたんすで眠っている。何とかこの着物を生かしたい」と一念発起し、思い切って京都の着付け教室に毎週、島原から通いました。勉強と家事の両立は大変でしたが、それ以上に着物の魅力をあらためて知ることができました。「着物には知れば知るほど着てみたいと思えるような素晴らしい魅力がたくさんある」と話す慶田さん。それは着物が代々受け継がれてきた日本の民族衣装であり、日本が世界に誇る文化の一つであること。また、奥ゆかしさを秘め、外見だけでなく内面からの美を引き立ててくれるということです。 ▼世界のひのき舞台へ  世界各国でも活躍した慶田さん。当時のお話を聴くと「島原から通い、がむしゃらに着物の勉強をしている私の熱意を京都の着付け教室の先生が見て、島原で着付教室の開講を認めてくれました」とのこと。その後、先生が携わっていた外務省の海外文化交流事業に参加させていただけることになったそうです。そこで文化交流・海外親善大使として、「世界各国の大使館や領事館で開催された着物ショーで着付けや構成などを手がけられたことは、私の一番の財産です。一分一秒を争う着物ショーでは、着付けをするスタッフのまとめ役として、辛いこともありましたが、世界のひのき舞台に立つことができました」と目を細めます。 (写真3)着物ショーのころの慶田さんとスタッフの皆さんが一緒に写っている写真 ▼「学ぶ難しさ、伝える難しさ」  「学ぶ難しさ、伝える難しさ」をこのころに実感したそうです。「着物について、多くのことを勉強しましたが、教える立場となって初めて、この『学ぶ難しさ、伝える難しさ』について、いつも考えさせられました。そして、その経験が今、四明荘での案内に生かされています」と胸を張って話してくれました。 ▼「四明荘」が人生の集大成  四明荘が自身の集大成という慶田さん。城下町島原は島原城や武家屋敷など歴史ある街並みが残り、着物がとても似合うまちです。また、市内の至るところで湧水が流れ、生活や文化に生かされている美しいまちでもあります。「四明荘は島原らしい最高の場所です。湧水が流れ、四季折々の風情を見せる庭園で愛する着物を着て、お客様に日本文化や島原の魅力を伝えられることは、私の人生の集大成だと思っています」と力を込めて語ってくれました。 ▼慶田流おもてなし  慶田さんにとっての「おもてなし」は、「特に深く考えたことはありません。ただ、カナダの日本大使館で着物ショーを行った際に、当時の大使が私たちすべてのスタッフの顔や出身、経歴などを調べていて、交流会で会話が弾み、大変楽しい時間を過ごすことができました。そのほか、世界各国でその国ならではのおもてなしを受けて、感じたことは、自分が相手にしてほしいことを相手にすること。物ではなく、人との出会いを心から大切にすることが最高のおもてなしではないでしょうか」と奥ゆかしく答えてくれました。 ▼「島原のばあば」として  「この年になって、四明荘という私の人生で最高の舞台に巡り合いました。この場所で着物を着て、日本文化や島原の魅力を世界中の皆さんに伝えていきたいと思っています。そして、また季節を変えて来てくださいねと声を掛けたお客様から『島原のばあばに会いに来たよ』と言っても らえるようにこれからも頑張りたいです」と笑顔で話してくれました。