◎輝く島原人 THE SCENE Vol.05 島原に生きる 「人生の達人」本多 俊一(ほんだ しゅんいち)さん(62)  昭和30年、5人兄弟の4番目として有明町で生まれ、同町で育つ。福岡教育大学卒業後、中学校の教諭として38年間教壇に立つ。父の正則氏が亡き後は、「本多木蝋工業所」の3代目として、江戸時代から続く伝統的な技法で、島原半島の伝統産業である木蝋づくりを継承している。 有明町大三東在住。 島原半島の伝統産業「木蝋」のあかりを灯しつづけたい ▼昔ながらの伝統技法を今に伝える  約200年前の島原大変で被害を受けた島原藩は、火山灰に強い櫨はぜを奨励し、財政を立て直したという歴史があることをご存知でしょうか。  江戸時代から続く伝統技法で木もくろう蝋を製造している「本多木蝋工業所」の3代目として、島原半島の伝統産業を継承しているのは、本多俊一さんです。  本多さんは、昔ながらの製法にこだわり、7つの製造工程を経て、日本で唯一の「玉締め式圧搾機(昭和12年製)」を使って、櫨の実から蝋分を絞り出し木蝋を作っています。  櫨から作られる蝋は、和ろうそくの原料だけでなく、鬢び んつ 付け油や化粧品などにも使用されており、国内で生産できる環境に優しい原料として大変貴重なものです。  「島原には自然の恵みがたくさんあります。自然の贈り物を大事にすることで恩恵も受けられます。 蝋を島原半島の豊かな自然の贈り物の一つとして、まちおこしの起爆剤となり、地元の産業の活性化につながっていけばうれしいです」と話してくれました。 ▼先人たちの知恵  「癒しの炎に拝む心を持てば感謝の気持ちが沸いて、『生命(いのち)、きずな、感謝の心』を育むことができます」と語る本多さん。  蝋から作る和ろうそくは、芯がイグサや和紙でできており、中が空洞になっていることから気流で炎が大きく揺らめき、少々の風では消えないのが特長だそうです。それは、洋ろうそくにはない、先人の知恵と思いが詰まった日本の文化だといえます。 ▼櫨の文化の道を楽しもう  平成3年の雲仙・普賢岳噴火災害後、絶滅の危機にあるという櫨の木。「もう一度、災害に強い櫨の木を広めよう、そして櫨の木の素晴らしさをもっと多くの人に伝えたい」と強い思いを語る本多さんは、子どもや地域の人が気軽に利用できるようにと、敷地内にうごく資料館「櫨の道資料館」や、学社融合支援施設「余暇夢道場」を開設しています。また、昨年6月からは、櫨道楽会(櫨の文化の道を楽しむ会)を立ち上げ、「自然」をキーワードに、櫨の実つみ体験などを通して、櫨の文化に触れてもらう取り組みも行っています。  「県外や外国人のお客さんは増えてきていますが、地元の人にはまだ多く知られていないようです。まずは、和ろうそくづくりや絵付け体験などを通して、櫨の文化に触れてもらい、将来的には、3世代交流ができる地域に根差した生涯学習の場となればうれしいです」と笑顔で話してくれました。 ▼地域で伝統を守りたい  これまで継続できたのも家族や親族、スタッフ、教員時代の教え子の支えがあったからこそと感謝している本多さん。先代から『木蝋はひとりで咲くにあらず、多くの光浴びて花咲く』と教えられた通り、「伝統を守っていくためには、維持管理面や原料の確保など課題もありますが、地道な活動を通して、一人でも多くの人に櫨に対する理解を深めてもらい、地域の皆さんと一緒になって伝統産業を守っていきたいです」と力強く話してくれました。 (写真@)日本で唯一の「玉締め式圧搾機(昭和12年製)」 (写真A)和ろうそくづくり体験 (写真B)島原の四季などが描かれた絵ろうそく(10号)