◎ふるさと再発見 第7代島原城主 松平忠俔(ただみ)公(1711‐1738年)  松平忠俔公は1711(正徳元)年、島原藩大老・松平次章(つぎあき)の四男として島原で生まれました。初めは忠ただなが長と名乗っていました。  1735(享保20)年、忠雄(ただお)公の養子となり、その年の終わりに家督を継ぎます。  忠俔公の在位はわずか3年ですが、神仏への信心が大変深い藩主として後世に語り継がれています。  『深溝(ふこうず)世紀』には、雲仙に普賢堂や鳥居を建立したり、本光寺に梵鐘(ぼんしょう)を納めたことが記録されています。このうち鳥居は、平成の噴火災害による土石流の被害を受け、現在、南千本木に柱の一部が遺されています。  1737(元文2)年には、城下の寺社に本堂などの修復料が一斉に下されました。  また、忠俔公は万町の乙名・讃岐屋市兵衛(さぬきやいちべえ)に命じ、京の有名な仏師30人に一体ずつ神像(しんぞう)を作らせ、護国寺に納めました。あわせて、島原藩の石高にちなみ、7万巻の経典が納められています。  以後、1781(天明元)年の護国寺の火災や1792(寛政4)年の「島原大変」の難をまぬがれ、「護国寺の三十番神像」として今なお人々に厚く信仰されています。  1738(元文3)年、忠俔公は28才の若さで亡くなりました。  島原で亡くなった忠俔公の埋葬先について、島原に葬ることも取り沙汰されましたが、深溝松平家の歴代が眠る三河国深溝(今の愛知県幸田町)に埋葬されました。  社会教育課学芸員 吉田信也(よしだ しんや) (写真)忠俔公の像(護国寺蔵) ◎地域おこし協力隊コラム23 地域おこし協力隊 杉山 大介(すぎやま だいすけ)  こんにちは、地域おこし協力隊の杉山大介です。新年度が始まり、協力隊としての任期も最終年度に入りました。  今年度も引き続き移住に向けた相談を積極的にサポートし、本市を県内外へアピールしていきます。 昨年、長崎駅のカモメ広場で行われた「ながさき地(ち)おこマルシェ」を今年は6月1日から3日まで新長崎県庁で行うことが決まりました。「ながさき地おこマルシェ」とは、県内で活動している地域おこし協力隊が主体となり、「よそもん目線」で自治体の「よかもん」を集めてアピールする催しです。  今回は物販だけでなく、地域おこし協力隊が自治体でどのような活動をしているのか、地域おこし協力隊として何ができるのかをパネルディスカッションや展示を通して多くの人にお伝えできるような新しい取り組みをしていく予定です。  地元の人にとっては日常の一ページであることも、よそもんからすると新鮮で魅力的な非日常であることは多くあります。それを発信することで、あらためて地元の人にもその素晴らしさを共有してもらえるとうれしく思います。 ▼問い合わせ先 島原ふるさと創生本部(62−8012) (写真)移住相談の説明をする杉山隊員