◎輝く島原人 THE SCENE Vol.11 島原に生きる 広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第11回目は「スポーツで地域と。走ることで人生を。」と語る野ア 享助(のざきたかすけ)さん(74)を紹介します。 (写真1)陸上競技場の芝の上を軽やかに走る野ア 享助さん  昭和19 年、8人兄弟の3男として片町で生まれ、育つ。高校時代に陸上を始め、在学中2度のインターハイ全国大会出場、卒業後3度の国体出場経験を持つ。20 歳で陸上自衛隊へ入隊し、定年まで勤め上げる。その後も島原半島防衛協会事務局長や島原市陸上競技協会長、島原市体育協会理事などの役職を務めながら、市のスポーツ分野での若手の育成や地位向上に尽力している。前浜町在住。 ▼地域のために、役立つ仕事がしたい  20歳で陸上自衛隊へ入隊し、大村・佐世保・北海道・静岡など数多くの駐屯地で勤務しました。 野球をはじめ、ハンドボールやサッカーチームを自ら結成し、スポーツを通して筋力や体力、チームワークの向上に努めていたそうです。  平成10年、自衛隊島原地域事務所長を最後に定年退官。その後、親和銀行に勤務しながら、島原半島防衛協会の事務局長を務めました。 銀行退職後の現在も「島原半島防衛協会事務局長として、島原半島の安全・安心のために少しでも役に立ちたい」と話す野アさん。 真面目で誠実な人柄です。 ▼審判を通して若い世代とつながる  「足の速さと体力では誰にも負けない自信があります」と語る野アさん。野球では選手だけでなく、「審判」としても活躍しています。  「スポーツでは審判の力量が試合の結果を大きく左右するため、重大な責任を持つところが審判の大変さでもあり、魅力でもあります」と語る野アさん。審判の1級ライセンスを取得後は、中学・高校の野球大会で地元をはじめ、県大会など数多くの試合で審判を務めています。 審判は一つの試合でかなりの距離を走ります。若い選手に負けないように、毎日のトレーニングはかかさないそうです。その結果、70歳を超えた今でも、さまざまな大会で審判の依頼がくるため、忙しい毎日を送っています。 ▼走ることで後輩に伝えたいものがある  高校時代に2度のインターハイ全国大会に出場した経験を持つ野アさんは高校卒業後、母校の陸上部コーチとして生徒を指導する一方、自身も100メートルとリレーの選手として、新潟・岐阜・大分と3度の国体に出場したそうです。  昭和44年と平成26年に開催された長崎国体では、陸上の審判団として大会を運営する側にも携わりました。長崎国体のことを振り返りながら、「当時は審判の数が足らず、大会を成功させるために審判の確保が大変でした」と、当時の思い出を話してくれました。  とにかく走ったり、歩いたり体を動かすのが大好きな野アさん。365日、ウォーキングやジョギングを欠かすことはないそうです。「雨の日でも、傘を差しながら歩きますよ」と楽しそうに話してくれました。  「自分が走るのと同じくらい、後輩に対する指導や支援は大切にしたい」と語る野アさん。以前、ジュニア陸上教室の講師を務めていた頃の生徒たちが、長崎県代表や日本代表として頑張っている姿を見て、「島原の陸上レベルは高い、これからの成長が楽しみです」と、目を輝かせながら笑顔で話してくれました。 (写真2)島原の陸上の将来について、笑顔で話す野アさん(上) (写真3)中学生の野球大会で一塁審判を務める野アさん(下)