◎ふるさと再発見 第8代島原城主 松平忠刻(ただとき)公(1716‐1749年)  忠刻公は1716(享保元)年、深溝松平家の分家の旗本・松平勘敬(すけゆき)の長男として生まれました。  1738(元文3)年、跡継ぎのいなかった前藩主・忠俔(ただみ)公が病に倒れ、急遽忠俔公の養子となりましたが、程なくして忠俔公が亡くなったため、そのまま藩主となりました。  忠刻公の治政は、以後の政治や産業の礎となった施策が見られます。  1739(元文4)年これまでの日誌に加え、藩の部署ごとに年間の出来事を詳細に記録するよう命じました。また1741(寛保元)年には、月ごとの引き継ぎによってあやふやになっていた罪人の罪状や禁固の年数を、記録によってはっきりさせるようにしました。  産業面では1744(延享元)年、領内に和ろうそくの原料となる櫨の木を十万本植樹させており、島原藩の主要産業の一つとなっていきます。  一方で、忠刻公は文芸もよくたしなんでいたことが記録されています。  忠刻公の治世中に改称された別邸・常盤茶亭(茶屋)で宴を催しています。また能を鑑賞したり、今の先魁町に設けた別邸・紅葉茶亭では、歌舞伎をたびたび鑑賞しました。  1749(寛延2)年5月8日、参勤で上京の途中、周防(すおう)国下松(くだまつ)(今の山口県下松市)で急死しました。  享年34歳、藩主としては11年の在位でした。亡骸は下松から一旦島原に運ばれ、葬儀が営まれた後、三河国深溝(今の愛知県幸田町)の本光寺に運ばれ、埋葬されました。   (社会教育課学芸員 吉田信也) (写真)忠刻公が造立を認めた十六羅漢石像(市指定文化財・本光寺) ◎地域おこし協力隊コラム ※今月号より回数は省略しました。 地域おこし協力隊 小野 友代佳(おの とよか)  6月に行われた「第三回ながさき地おこマルシェ」に参加してきました。この「ながさき地おこマルシェ」は、長崎県の協力隊が中心となって行っているイベントで、「よそもんが地のよかもん集めました」をテーマに、特産品や工芸品など地域一押しのものを集めたイベントです。2回目の参加ですが、SNSなどインターネットでの情報発信とは違い、市外の人に島原の紹介やお話をする機会はとても新鮮でした。  今回本市の協力隊は、イベントのポスターやホームページの制作から、「パネルディスカッション」、「長崎県○×クイズ大会」など会場ステージでパーソナリティーをするなどブース出展以外でも活躍しました。長崎県内各地域の協力隊員の活動を紹介したパネル展示や、地域PR合戦なども加わり、協力隊から見た地域の魅力を発信できたのではないかと思います。  いよいよ残りの任期も半年ほどになりましたが、今後も各隊員の得意分野を生かした方法で島原の魅力を多くの皆さんに発信し続けていきたいと思います。 ▼問い合わせ先 島原ふるさと創生本部(62−8012) (写真)島原のPRブース(イベント会場)