◎輝く島原人 THE SCENE Vol.18 島原に生きる 広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第18回目は県展受賞15回など、芸術分野における数多くの賞を受賞。現在も洋画家として活動を続けながら、子どもから大人まで幅広い世代への教育美術の振興に尽力している佐藤 利宗(さとう としむね)さんを紹介します。 「人生の達人」佐藤 利宗(さとう としむね)さん(82)  昭和12年、6人兄弟の長男として大下町で生まれ、育つ。長崎大学卒業後、小学校教諭として勤務。途中、県立美術館学芸課長や市教育委員会学校教育課長などを経て、市内2校の学校長を歴任。退職後も県美術協会副会長や島原半島美術振興会長、市教育委員長や市展実行委員長を務めるなど、島原の教育美術振興に尽力している。県展受賞15回(知事賞3回)、県展西望平和賞、日展入選3回他多数受賞、個展8回。有明町大三東在住。 (写真)真剣なまなざしで筆を持ち、新たな作品を制作する佐藤さん 運命に導かれ 筆を持ちつづける ▼描く喜びと苦悩の先  長崎大学学芸学部時代、児童文化の研究会に所属していた佐藤さん。人形劇の舞台装置を作ったり、子どもたちに自作の紙芝居で物語を語っているうちに、絵画に目覚めたそうです。  学生時代に佐藤さんの速写画を見た教授から勧められたのがきっかけで油絵を始め、第三小学校在職時に初めて県展に出品した作品が入選、その後も8回連続受賞しました。  昭和61年、小浜小学校へ教頭として赴任後1年で、県立美術博物館の学芸課長へ異動となりました。今までとは異なる環境の中で苦悩しながらも、新たな美術への意欲をかきたてられたそうです。  平成2年、市教育委員会の社会教育課長として島原へ戻ってきた翌年に雲仙・普賢岳噴火災害を経験。災害対策に奔走するなか、安中地区の実家や親戚が被災。友人や知人も大火砕流の犠牲になりました。悲しみとショックでなかなか立ち直れなかったそうです。  平成8年の噴火活動終息宣言後、犠牲者に安らかに昇天してほしいという願いから第100号の大作「普賢岳胎動」を完成させました。  平成13年「復興の願いと感謝を込めて」と題した個展を仲間の協力を得て開催。「ふるさとで個展ができたことに意味があったと思います」と当時を振り返りながら話してくれました。 ▼絵は自分磨き  大三東小学校長を最後に退職。その後、美術団体の白日会に入会、日展で3度の入選を果たしました。  3度目の入選作品「里山春光」は自然豊かなふるさとの景色を眺めながら、これまでの人生に思いを馳せているもので、制作に1年もの時間を費やしました。佐藤さんが作品をつくるうえでの永遠のテーマは「農夫」。ふるさとで農業をしている人々の姿を今でもいつも心に焼き付つけて制作をしているそうです。  長崎大学時代、佐藤さんの専攻は図工科で、卒業論文のテーマは「五歳児の絵」でした。無邪気に描く子どもの絵に寄せる思いは強く、今でも保育園児に絵の指導をしたり、夏休みに絵手紙などの指導を続けています。一生懸命に楽しみながら絵を描く子どもたちの姿を見て、「私もまだまだ頑張らなければいけない」と自分自身の絵画に取り組む姿勢を振り返り、「苦悩もありますが、絵を辞めたいと思ったことはありません。今まで以上に精力的に作品づくりに取り組み、近いうちに9回目の個展を開催したいです」と熱い意欲を話してくれました。  島原半島の美術振興の将来を心配する佐藤さん。デジタル全盛の今日、誰でも簡単に絵を描くことができますが、自分の手でこつこつと積み上げた技術や経験が無ければ、より良い作品は生まれないと危惧しています。「今まで育ててきた後輩たちを信じて、これから先は任せていきたいです」と、後輩への思いを話してくれました。 (写真)日展入選作品「里山春光」(平成29年)と佐藤さん夫妻