◎輝く島原人 THE SCENE Vol.19 島原に生きる   広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第19回目は「手話が家族の絆をつないでくれました」と語る寺中 龍子(りょうこ)さん(55)を紹介します。  昭和39年、4人兄弟の次女として壱岐市で生まれ、育つ。地元の高校を卒業後、事務職として島原高校で勤務。平成4年、子どもをろう学校へ通わせるため退職、同時に手話を学び始める。平成26年から島原手話サークルの代表となり、現在も17人の会員と一緒に月3回、聴覚障害者の社会参加を目指す活動を続けるなど、本市の社会福祉の向上に尽力している。寺中町在住。 (写真1)歌の歌詞を手話で表現する練習をしている寺中さんの写真 ありのままに生きる選択 ▼子どもと共に歩む人生  生後4カ月の二人目の子どもが聴覚障害だと分かった寺中さん。その後すぐ、手話サークルへの入会を決めました。  仕事を辞め、子どもと一緒に毎日休むことなく、県立ろう学校幼稚部に通いました。当時の幼稚園は、手話を禁止していましたが、将来子どもと手話で話をしたいという強い信念で、手話の勉強を続けたそうです。  子どもと一緒に成長したいという思いから小・中学は地元の学校に通わせ、高校では再び、県立ろう学校へ通わせました。  みんなが笑う場面で、笑えない子どもに気付き、寺中さんが手話で会話をしてあげたそうです。その結果、みんなと同じタイミングで笑う姿を見て、「手話をしてきて良かったなあ」と実感したそうです。  高校卒業時、子どもから「お母さんが手話ができて良かった、ありがとう」と言われ、「自分がしてきたことは間違っていなかった」と、嬉し涙が止まらなかったそうです。 ▼手話の普及を目指して  平成2年から手話サークルの活動を続けている寺中さん。「手話のレベルを高めたい、手話ができる人材を育てたい」という強い思いがあるそうです。  しかしながら、手話通訳者の養成講座が島原には無く、同様な講座を受講するには、長崎市などに通うしかないのが現状です。親の介護や家族の世話をしていると、手話の勉強に費やす時間が無く、日々葛藤しているそうです。  寺中さんは「島原で、手話通訳者の養成講座を開催して欲しい。そして、街中どこにいても気軽に手話で会話できる、ろうあ者に優しいまちになってほしい」と、切に願っています。  ある時、子どもから「お母さん、手話が下手になったね」と、言われたそうです。「日本語でも英語でも、日常使っていないと下手になるし、話せなくもなります。手話は大切な言語の一つです。手話を必要とする人が、気軽に手話でコミュニケーションをとれる環境を作りたい。そのため、多くの人に手話に対する理解を深めて、もっと手話が普及する活動をしていきたいです」と、今後の目標を話してくれました。 ▼子どもと家族に感謝  子育ても終わり、ひと段落した寺中さん。もちろん手話サークルは続けますが、手話以外でも誰かの、何かの役に立ちたいという強い思いがあるそうです。  幼いころ、積極的にいろいろな仕事を引き受けていた両親の影響からか、「これからは、独り暮らしの高齢者への声掛けや見守りなど、地域のために役立つボランティア活動をしてみたい」と、抱負を語ってくれました。  「障害のある子どもと支えてくれる家族がいてくれたことで手話を覚えることができ、生きがいとなるボランティア活動にも関わることができました。そんな子どもと家族にあらためて感謝したいです」と、今までの人生を振り返り、優しい笑顔で今の思いを話してくれました。 (写真2)「令和元年」を指文字と手話で表す練習をしている、寺中さんと手話サークルの皆さんの写真 (写真3)普段は一番街アーケードの「がんばスタンプ事務所」で、元気に働いている寺中さんの写真 (写真4)「健康しまばら福祉まつり」で手話のボランティア活動をする、寺中さんと手話サークルの皆さんの写真 (写真5)息子と手話で会話を交わしながら、食事をする寺中さんの写真