●ふるさと再発見 第14代島原城主 松平 忠侯(まつだいら ただよし)公(1799〜1840) 忠馮(ただより)公の4男として生を受けた忠侯公は、忠馮公の死により二十一歳で藩主となりました。  忠侯公は、忠馮公が行ってきた寛政地変からの復興や財政の健全化など藩政改革を引き継ぐこととなりました。  忠侯公の治世で特筆すべきは、藩校稽古館を拡充したことが挙げられるでしょう。藩校に御用学者であった川北温山(かわきたおんざん)らを教授として任命し、学生数も増やして学術振興を図りました。  また、1807年(文化四)には、稽古館の学科目の一つであった医学を独立させて、済衆館(さいしゅうかん)という医学校を設立させました。  済衆館は医学校と病院を兼ねたものであり、今の大学病院のようなものでしょうか。  この済衆館は後世、蘭医学を吸収する地盤ともなったことから、島原藩の医学史において重要な機関であったといえるでしょう。  忠侯公は、学問好きで肥前島原松平文庫の蔵書中に忠侯公の蔵書印が捺されているものや、忠侯公の写本もあります。  忠侯公の治世は比較的安定した期間と言えますが、農村振興には苦心したようです。1836年(天保七)からは飢饉が発生し、対応に苦慮したものと思われます。  1840年(天保十一)、四十二歳の厄払いの宴のさなかに病を発し、二十二年の治世に幕を閉じました。 地域おこし協力隊 吉岡 慈文(よしおか ひろふみ)(出典:『三百藩主人名事典』4) (写真)「『忠侯写』の『勤例類彙(きんれいるいい)』」(肥前島原松平文庫所蔵) ●地域おこし協力隊コラム 協力隊、なんしよっと? 地域おこし協力隊 庄司 航(しょうじ わたる)  6月9日(日)に有明の森フラワーパークで「島原ふるさと特産市」がおこなわれ、私は似顔絵描きのブースを出しました。私が運営している「漫画工房ンズリ・サナ」で各種教室を開催しているので、そうしたことをより広く知ってもらおうと思ったためです。ひとり1枚15分ほどで描きあがります。 今回は13人のお客様に来ていただきました。お父さんと娘さんをいっしょに描いてほしい、などの要望も受けました。  画家によっては斜めからの顔を好んで描く人もいますが、私は人物の顔を正面から描くことにしています。15分の間、正面で向き合って無言で対峙しているわけにはいかないので、自然といろいろな会話を交わすことになり、結果として市民の方とのコミュニケーションの場としても機能します。  特産市の会場では、佐世保市や大村市から来た方の話をうかがいました。同時に私自身の絵の技術の向上にもつながるので、大変有意義だと感じました。  今後もさまざまなイベントの場で、同様の似顔絵描きを実施するつもりです。興味のある方は見かけたらぜひお立ち寄りください。値段は1枚500円を予定しています。 ▼問い合わせ先 社会教育課 (68−5473) (写真)庄司 航 似顔絵描きブース(島原ふるさと特産市)