◎輝く島原人Vol.26 地域に根差し、友と生きる  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第26回目は、地元の仲間と一緒に有明のまちを支え続け、今もなお本市のために元気に地域活動を続けている、坂本 梓(さかもと あずさ)さんを紹介します。 「人生の達人」坂本 梓 さん  昭和8年、5人兄弟の長男として、有明町小原下で生まれ、育つ。地元小学校を卒業後、諫早市の県立農学校(現:諫早農業高校)へ進学。  卒業後はサラリーマン経験を経て、両親を助けるために家業である農業を継ぐ。  青年団活動を積極的に行い、地元の水害や干ばつ被害の復旧・改善対策に尽力。  38歳から消防署に勤務し、雲仙・普賢岳噴火災害時にも活躍。後に同消防署初となる瑞宝単光章叙勲を受章する。  有明町遺族会会長、有明町文化協会顧問。有明町小原下在住。 ○有明に生きる  諫早市の高校卒業後、家業の農家を継ぐために戻ってきた坂本さん。大三東村の青年団として活動しながら、県の連絡協議会(農村青少年クラブ)を結成、副会長を務めました。そして、昭和30年の有明村合併の際は、大三東村代表として青年団の統合に尽力するなど、青年団活動に注力したそうです。  25歳の頃、今度は県の遺族会青年部を立ち上げました。当時は何百人も集まり、全国的な組織になったそうです。現在は有明町遺族会会長を20年以上務めていますが、「孫の世代になり、遺族会を脱退する人が増えてきたのが残念です」と、今の思いを語ってくれました。  昭和32年、諫早大水害の影響を受け、有明地区は水浸しになりました。土木の知識と経験から25歳の若さで復旧工事の責任者となった坂本さん、3年がかりで町を復旧させました。  また、有明地区が干ばつに見舞われた際には、ボーリングで水を汲み上げ田畑へ引き入れる提案をし、後に「畑地かんがい事業」として採用されたそうです。  今では当たり前のように使われている有明地区の農業環境も、50年以上前に始まった坂本さんたちの努力によって存在していることを教えてくれました。 ○友に支えられた人生  平成2年、雲仙・普賢岳が噴火活動を再開した時、坂本さんは島原消防署で勤務していました。度重なる通報から調査のため登頂、噴煙を上げている様子を写真やビデオに収めると、報道機関からの提供依頼があり、全国へ噴火の映像が放送されました。その後も退職まで、普賢岳の様子を記録し続ける毎日だったそうです。長年の功績を認められ、71歳で島原消防署初となる「瑞宝単光章」の叙勲を受章しました。  定年退職後、有明町文化協会に加入し文化祭などをビデオに記録、会長10年、副会長6年、役員を含めると20年以上、有明町の文化振興を支えてきました。また、ビデオを通じて20年来の友人もできたそうです。友人である日高さんと2人で結成した「島原ビデオクラブ」は、今年で20周年を迎えます。  市保健センターの転倒予防教室をきっかけに、健康を意識するようになった坂本さん。「転倒予防体操」を島原へ普及するための活動に尽力しました。  また、社会福祉協議会からの呼びかけで始めた「ふれあいサロン」を楽しみにしているそうです。「月1回幼馴染で集まり、サロンの後に自分たちで作ったおやつなどを持ち寄り、情報共有をしながら会話を楽しむことが、何よりの楽しみです」と、いつまでも元気な秘訣を教えてくれました。 (写真)ふれあいサロンの後、お茶をしながら幼馴染との会話を楽しむ坂本さん (写真上)気の合う仲間と楽しく語り合う、坂本さんと島原ビデオクラブの皆さん (写真下)市戦没者追悼式で有明町遺族会会長として挨拶を述べる坂本さん