◎輝く島原人 THE SCENE Vol.30 島原に生きる 糸がつなぐ 人生と絆  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。 第30回目は、青少年が健全に育つように見守る活動を続けている、宮崎 善金(みやざき よしかね)さんを紹介します。 「人生の達人」宮崎 善金 さん(76)  昭和18年、12人兄弟の5男として南島原市深江町で生まれ、育つ。  島原高校を卒業後、教員を目指し長崎大学へ進学。昭和41年愛野中学校赴任を皮切りに、平成16年の退職まで教員生活一筋。 その後、青少年に関わる要職に就きながら、子どもたちの成長を見守る活動を続けている。  島原市・有明地区青少年育成会議会長(平成19年~)、有明地区福祉協議会副会長(平成19年~)、瑞宝双光章受章(平成28年秋)。有明町大三東在住。 (写真)自宅を作業場として、真剣な眼差しで凧を作る宮崎さん ○教員とラグビーに捧げた人生  子どものころから体を動かすことが得意だった宮崎さん。得意な運動を生かす仕事として教員の道を選びました。  特にのめり込んだスポーツは高校時代から始めたラグビーでした。教職に就いてからも長崎教員ラグビーに所属、昭和41年~49年に開催された国体に、4度の出場経験を持つ生粋のラガーマンです。  昭和43年からは南高来郡体育協会ラグビー部長を務め、県民体育大会にも参加。さらには昭和47年、愛野町での郡民体育大会を機に7人制ラグビーを提案、島原半島内の6チームで競い合い、島原のラグビー競技の普及に取り組みました。  「7人制ラグビーを歴代部長皆さんの協力のもと、島原市と合併するまで続けられたことが嬉しいです。支えてくださった皆さんに感謝しかありません」と、教員とラグビーに人生を捧げた当時のことを思い出しながら話してくれました。 (写真)長崎市営ラグビー・サッカー場のこけら落とし試合でのプレー姿(昭和43年) ○人生を変えた凧との出会い  平成9年、校長として初めて奈良尾中学校へ赴任した際、「凧教室」を受講する機会があり、色彩豊かで勇壮なバラモン凧を見て、驚きと感動を覚えました。赴任と同時に入学した生徒たちへ、卒業の記念品として半年間かけ作成したバラモン凧を、卒業式の前日ギリギリに渡せたことは、今でも忘れられない思い出の一つだそうです。  順風満帆だった教員生活も、定年まで残りあと1年のところで脳梗塞の病が襲いました。愕然としていた宮崎さんを絶望の淵から立ち直らせてくれたのが「凧」の存在でした。  退職後、長崎のハタの作り方を店舗へ訪れ直接聞いたり、図書館で調べたりするなど、独学で学びました。  凧作りに必要な節の長い真竹が手に入れやすかったことや、タイミング良く凧作り教室を依頼されて、続けられたことも現在の凧作り人生につながる運命だったのかもしれません。  平成18年から続く「有明公民館まつり」で始めた長崎のハタ作り教室は、3~4年前からハタよりも簡単に揚がるビニール製の菱凧作りを加え、子どもたちに大人気です。「子どもたちが凧を作るときの生き生きした顔、作り上げたときの満面の笑み、上手に揚がったときの喜びの声、そして、たくさんのありがとうの言葉が指導を続ける生きがいです」と宮崎さんは話します。  「青少年が健全に育つように見守る活動を続けていますが、感謝の気持ちを表現できる子ども、誰とでも『おはようございます』や『こんにちは』のあいさつができる、子どもがあふれる地域になることを心から願っています」と、子どもたちへの思いを話してくれました。 (写真)有明地区青少年の意見発表会で発表者を祝う宮崎さん(上)、有明公民館まつり実行委員長として、自ら凧作り教室を行う宮崎さん(下)