◎輝く島原人Vol.32 一筋(まっすぐ)に守る命・島原の未来  広報しまばらでは、生き生きと活動し、楽しみながら社会に貢献する人生の達人たちを「輝く島原人」として紹介しています。第32回目は、子どもたちをはじめ地域住民の安全安心を日々見守る活動を続けている阿部 日出勝(あべ ひでかつ)さんを紹介します。 「人生の達人」阿部 日出勝 さん(81)  昭和14年、8人兄弟の四男として片町で生まれ、育つ。地元の中学を卒業後、市内で会社員として働き始める。結婚を機に鶏卵関係の職に就き、その後も同業種で定年まで勤める。交通指導員として、半世紀近くに渡り子どもたちを見守る交通安全指導一筋に尽力、現在も現役で活動中。  島原市交通指導員会副会長、地方自治功労(島原市・平成6年)、県民表彰(長崎県・平成11年)、交通安全功労者表彰(内閣府・令和元年)。萩原在住。 (写真)第二小学校前で朝の交通整理中、横断歩道を渡る児童と笑顔でタッチをする阿部さん。 ○逆境を乗り越え、進み続けた自分道  中学卒業後、湊新地の卸売会社へ就職した阿部さん。住み込みで働き、朝6時起床、拭き掃除から始まり、昼間は厳しい指導のもと少しずつ仕事を覚えました。ただ厳しいだけでなく、仕事に必要な知識を毎夜、丁寧に教えてもらいながら一人前の社会人になるため勉学に励む毎日でした。「今思えば、この辛い修行時代の経験が、後の人生に活きました」と、当時の社長から頂いた厳しさと優しさを思い出しながら、話してくれました。  昭和40年代前半、ブロイラーの導入が全国的に広まった流れから、鶏卵会社に転職しました。運悪く倒産の憂き目にあったり、勤務先の営業所が閉鎖になるなど、数多くの困難に見舞われましたが、鶏卵関係の仕事を定年まで続けることができました。在職中、倒産や転職など人生の岐路に何度も会いながら、「その逆境を跳ね返せたのは強い意志と愛する家族への責任感、そして誰にでも優しい人柄があったから」だと、阿部さんの姿からその理由が伝わってきました。  退職後は苦楽を共にし、同じ趣味を持つ奥様と「旅行や陶芸、釣りや詩吟などを一緒に楽しみ、夫婦円満な毎日を送っています」と、優しい笑顔で教えてくれました。 ○誰かでなく、自分が守る地域の宝  会社員時代に町内会副会長だった時、子どもたちの登下校時に地域の高齢者の皆さんが交通整理をしているのを見て、代わりに務めたのが交通指導員を始めるきっかけでした。それ以来、率先して交差点などで交通指導に日々励んでいます。  自身の子どもがいた第二小学校の育友会に交通部を設立、島原市の交通指導員会の設立後も、理事や会長、副会長や相談役などに就任するなど、地域の安全運動の推進に貢献し続けてきました。  元来、子どもが大好きな阿部さん。昭和50年ごろ10年以上、女子フットベースボールの監督と副監督を夫婦揃ってしていた時もありました。「当時はそれが当たり前のことでした。今は多忙な時代で、個人が優先される風潮にあります。相手を思いやる気持ちで世のため人のため、些細なボランティア活動でも良いので取り組んで欲しいです」と自らの思いを話してくれました。  「これからも朝の挨拶から、日々取り組んでいる交通安全という一つの目標に向かって役割を果たすため、子どもたちや地域の安全安心、無事故を目指してこれからも頑張る」という決意のもと、今日も交差点から子どもたちの命と島原の未来を守り続けます。 (写真上)第二小学校の新入生に交通マナーの指導をする阿部さん (写真右)霞が関ビルで行われた令和元年度交通安全功労者表彰の表彰式に仲良くご夫婦揃って参加 (写真左)同表彰を古川市長へ受賞報告のため来庁