残そう未来へ 鉄砲町の町並み ―「伝統的建造物群保存地区制度」の導入検討へ―  島原城築城のとき、外郭の西側に接して、島原藩の徒士屋敷が作られました。下の丁、中の丁、古丁に加え、寛文9年(1669)に松平忠房が入封してから、新たに下新丁、上新丁、新建が建設されます。この一帯は「鉄砲町」とも呼ばれ、現在も、当時の敷地割が残り、古い建物や石積が見られます。  市教育委員会では、平成19年から20年にかけて、伝統的建造物群としての鉄砲町の価値を把握するため、鉄砲町伝統的建造物群保存対策調査を実施しました。この調査は、鉄砲町全域を対象として、初めて実施された本格的な学術調査です。  対象区域の住宅建築46棟41軒を調査した結果、主屋の建築年代は、15棟が江戸期、10棟が明治期、6棟が大正期、15棟が昭和前期であることがわかりました。さらに「成立時期が江戸期に遡る街路とその中央を貫流する用水を軸とした武家屋敷地を基盤として、江戸期から昭和前期にかけて建設された武家住宅や近代住宅などの多様な屋敷構えが織りなす歴史的景観が残されている点」に伝統的建造物群としての鉄砲町の特質が認められました。  市では、武家屋敷がある下の丁において景観計画で歴史的・文化的景観を守るための取り組みを行っていますが、この調査結果に基づいてこの価値ある町並みを未来へ残していくために、「伝統的建造物群保存地区制度」の導入に関する検討を地域の皆様とともに進めていくこととしました。  なお、本調査結果の報告会と町並み保存への理解を深めるための講演会とを次のとおり開催します。伝統ある島原の町並みを知る良い機会です。皆様のご参加をお待ちしています。 例えば調査でこんなことがわかりました! 鉄砲町の武家住宅は、通りの東側と西側で建築形式が違う! (『島原市鉄砲町伝統的建造物群保存対策調査報告書』より)  江戸期の住宅建築、すなわち武家住宅においては、南北に走る通りの東側宅地と西側宅地の住宅で、建築形式に大きな違いがあることがわかりました。それは、東側宅地では鍵型の屋根とする例が多く、西側宅地はT字型とする例が多いということです。 通りの東側宅地の武家住宅 鍵型 旧山本家復元図 ※所在地は次ページ図中の@ 通りの西側宅地の武家住宅 T字型 旧篠塚家復元図 ※所在地は次ページ図中のA ●元治2(1865)年 鉄砲町復元図 この時期、鉄砲町には690戸もの武家屋敷が建ち並んでいたと言われています。水路もそれぞれの通りの中央を流れていました。街路や町割は現在までほぼ変わらず引き継がれています。(『島原市鉄砲町伝統的建造物群保存対策調査報告書』より) @現在の旧山本家所在地 A現在の旧篠塚家所在地 町並みを守る制度 −伝統的建造物群保存地区制度とは−  町並みを守る制度の一つとして、文化庁の「伝統的建造物群保存地区制度」があります。  「伝統的建造物群保存地区制度」とは、地域の歴史や文化を伝える貴重な町並みを保存するため、地元住民の主体性と合意に基づき、国や県、市町村が保存地区のまちづくりを支援する制度です。  市町村が定めた「伝統的建造物群保存地区」の中から、価値の高いものを「重要伝統的建造物群保存地区」として国が選定し、財政的支援や技術的指導を行います。近年では、平成17年に雲仙市国見町の神代小路が重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。  保存地区内においては、建物の外観や自然物など、すべての景観に関する変更に申請・許可が必要となります。一方で、経費の一部補助などの町並みを守るための支援や税の優遇措置があります。  現在、全国には、91の重要伝統的建造物群保存地区があり、県下では、神代小路のほかに、長崎市南山手、東山手、平戸市大島村神浦が選定されています。 講演会と報告会を開催します 鉄砲町の町並み保存を考える講演会 とき 10月8日(土) 13時30分 ところ 島原文化会館中ホール 内容 第一部 鉄砲町調査報告会 (鉄砲町伝統的建造物群保存対策調査の結果報告) 講師 長崎総合科学大学 林 一馬(はやしかずま)先生    熊本大学 伊東 龍一(いとうりゅういち)先生    佐賀大学 三島 伸雄(みしまのぶお)先生    久留米工業大学 大森 洋子(おおもりようこ)先生 第二部 まちなみ保存講演会 全国的なまちなみ保存の動きと大分県臼杵市(うすきし)における取り組みについての講演会 講師 全国町並み保存連盟 齋藤 行雄(さいとうゆきお)先生 問い合わせ 島原市教育委員会 社会教育グループ 68-1111 内線652