ふるさと再発見 松倉重正(まつくらしげまさ)・板倉重昌(いたくらしげまさ)の墓  島原城を築城した松倉重政は、もともと大和国(やまとこく)の大名・筒井氏の家老職についていました。同じ家老職に、関ヶ原合戦で石田三成の配下として勇名を馳せた島左近(しまさこん)がおり、重政の父は右近を称していたので、筒井家の右近左近と並び称されていました。  筒井家を離れた重政は、関ヶ原合戦において家康の下で活躍し、大和国五條(ごじょう)一万石の大名となりました。その後、大坂の陣でも活躍し、その功積により元和二年(1616年)、幕府から島原の地で四万石を与えられました。  重政の島原築城と城下町の建設により、島原がこれ以後島原半島の政治・経済・文化の中心となります。  一方、当初緩やかだった領民の支配は、年を経るごとに厳しいものになり、重税やキリシタンの弾圧など悪政があったと伝えられ、その結果、寛永十四年(1637年)、子の勝家の時に、島原の乱が起こります。  鎮圧に向けられたのは、三河で一万五千石を領する板倉重昌でしたが、大藩ばかりの九州勢を統率できず、寛永十五年(1638年)の元旦、一揆勢の立てこもる原城へ総攻撃の陣頭に立ち戦死しました。  板倉重昌と松倉重政の墓は、江東寺にあります。  いずれも、それぞれ新旧二つずつの墓があり、古い墓石は寛政四年(1792年)の島原大変で寺ともども流されてしまいました。寺を現在地に再建し、墓石も新しく造った後、昔の墓石が見つかったため、新旧一緒に置いてあります。  島原の乱と島原大変。島原の歴史上の大事件二つに関係するこれらのお墓は、市の文化財として指定されています。 クローズアップ 「コスモスサークル」  見た目年齢を気にしたことがありますか。  今回、紹介するのは「明るく・楽しく・前向きに」をモットーに健康体操に取り組んでいる「コスモスサークル」の皆さんです。  このサークルは平成9年から活動し、平湯良美さんの指導のもと、「若さと健康」のため、20人が週1回の活動を行っているそうです。  体操をする際は、先生のユーモアあふれる話を交えながら行い、皆さん笑顔で体操をしているそうです。  皆さんにお話を聞くと「肩こり・腰痛が無くなった」、「姿勢が良くなった」という体に関するものから、「実年齢より若く見られるようになった」と美容効果もあることを話してくれました。  この他にも「楽しい仲間が増えた」という言葉もあり、皆さん、楽しみながら若さと健康力アップを実感されています。  皆さんも、美容と健康のため、楽しみながら健康体操を始めてみませんか。 問い合わせ先…吉田巴枝(ともえ)さん(641740)