ふるさと再発見 沖田畷(なわて)の古戦場  沖田畷の合戦は、天正 12年(1584年)九州制覇を目指していた佐賀の戦国大名龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)が大軍を率いて島原半島に攻め寄せた戦です。  龍造寺方に付いた島原半島の豪族(国見町の神代氏など)もあり、当時の領主であった日野江城(北有馬町)主の有馬晴信(ありま はるのぶ)は劣勢。そのため鹿児島の島津氏に援軍を頼み迎え撃ちます。  3月24日、本陣を森岳(今の島原城のある丘)に置き、海岸から丸尾砦(本光寺裏)にまで布陣した有馬・島津方に対し、龍造寺勢は海沿い、山の手、中央の三方から攻撃を開始。  激戦の中、大将の龍造寺隆信が首を討たれ、合戦は有馬・島津連合軍の勝利となり、有馬晴信は領地の防衛に成功します。  その龍造寺隆信を祀った神社が北門町にある二本木(にほんぎ)神社です。  社殿の前にある石灯籠は昭和4年に佐賀藩主の子孫である鍋島氏と、龍造寺隆信を討ち取った薩摩の武将川上左京の子孫が奉納したものです。  また、神社から北へ約150m行ったところに供養塔があり、大将隆信と、その部下(約三千人)の慰霊の場所となっています。  ひっそりとたたずむ石塔には、九州制覇の夢を散らした一代の英傑の悲哀が感じられます。 クローズアップ 「島原要約筆記(ようやくひっき)会 すまいる」  要約筆記ということば聞いたことがありますか。  要約筆記は、難聴者や中途失聴者など聴覚が不自由な人のために、音声情報を文字情報として伝えるものです。  この会は平成18年から活動し、今年9月に講習を終えた6人を含む25人が月3回集まり、勉強会を開いているそうです。  普段、人が話す言葉は1分間に約300文字と言われますが、書くとなると約70文字ぐらいになり、要約筆記では相手が何を伝えようとしているか、何を必要としているかを瞬時に要約し、文字に起こす能力が必要となるそうです。  代表者の市川克子(いちかわ かつこ)さんにお伺いすると「要約筆記を通して、いろんな人との出会いがあることが楽しみですね。市でも要約筆記者を派遣する事業が始まったので、多くの人に利用してもらいたい。今後は、平成26年開催の長崎がんばらんば大会に向け、人材育成に努めて行きたい」と話してくれました。  また、利用者にお伺いすると「とてもありがたい。今後も『縁の下の力持ち』として活躍してほしい」と話してくれました。  皆さんも、聴覚障がい者の「耳がわり」となり、要約筆記者通訳活動に参加してみませんか。 問い合わせ先…市川克子さん(73−9810) 要約筆記派遣事業の詳しい内容は、24ページをご覧ください