ふるさと再発見  猛島神社  お正月の風物詩「初詣で」。  市内の神社はいずれも賑わいをみせます。  その一つに宮の町にある「猛島神社」があります。  猛島神社はもともと「森岳大明神」として森岳に祀られていましたが、島原藩主松倉重政(まつくらしげまさ)が島原城を築城するにあたり、仮に鷹島(たかじま)(現高島)に移し鷹島大権現(たかじまだいごんげん)としました。  城の完成後の寛永二年(1625年)に現在地に移され、福知山藩から島原藩に国替えとなった藩主松平忠房(まつだいらただふさ)により延宝(えんぽう)三年(1675年)、社号を「猛島大明神(たけしまだいみょうじん)」と改められました。  その後、猛島神社は藩内の総社とされ、藩主以下の藩士や領民の崇敬(すうけい)を集め、その厳かなたたずまいから島原十景の一つ「猛島秋月(たけしましゅうげつ)」とうたわれました。  松平忠房築造と伝えられる石垣の上にあった鳥居と社殿は、寛政(かんせい)四年(1792年)島原大変の津波で流失しましたが、鳥居は文化八年(1811年)に、社殿は文化十二年(1815年)に再建、また社殿を囲む玉垣(たまがき)は弘化3年(1846年)藩士の奉納と伝えられています。  古い歴史を持つ猛島神社には、数多くの古文書などの歴史資料が所蔵されており、「旧島原藩日記」、「杉谷焼」など四点が市の文化財に指定されています。  有明海の浜辺から島原の歴史を見つめてきた猛島神社。皆さんも散策してはいかがでしょうか。 クローズアップ 九鱗会島原分会(きゅうりんかいしまばらしぶ)  湧水庭園四明荘や鯉の泳ぐまちでは色とりどりの錦鯉が、訪れる観光客の目を楽しませていますが、もしかしたらその錦鯉は九鱗会島原分会の皆さんが育てた錦鯉かもしれません。  九鱗会島原分会は、島原半島で錦鯉を愛好し飼育している人たちの集まりです。現在会員は16人で、錦鯉をより美しく豊かに鑑賞するためにさまざまな活動を行っています。  島原分会の一大イベントは、毎年12月に実施している「錦鯉品評会」です。品評会では、会員が丹精込めて飼育した錦鯉を持ち寄り、部門ごとに優秀な錦鯉を決めます。このほかにも錦鯉の見方や飼い方、買い付けなどの研修や審査研究会も行っているそうです。  毎年5月5日に、鯉の泳ぐまちで「鯉の供養と放流」が行われていますが、放流する錦鯉の一部を、この会からいただき、地域の人たちや子どもたちが放流をしています。  分会長の廣瀬健治(ひろせけんじ)さんは「自分たちが育てた鯉を手放すのはさみしい気もしますが、四明荘や鯉の泳ぐまちで多くの人たちに見てもらいたいと思って、鯉を提供させてもらっています。島原観光の役に立てばうれしいですね」と話してくれました。  皆さんも、四明荘や鯉の泳ぐまちの静かなたたずまいを楽しむとともに、鯉の模様や優雅な泳ぎにも注目してみてはいかがでしょうか。